――承前。

 「しゅき……だもの」

 大事な事だから二度言ったらしい。
 で、早くも二度目にはすーすー寝息混じりになって必死に起きていようとしてる。瞼を閉じ
たらさいごとばかりに竜児の目を睨みつけ耐える大河の身体がもわ〜っと暖かくなってきてい
て落ちるのは時間の問題。
 竜児からしてみても丹前羽織って乗られていると暖かなふとんを掛けて横たわってるのと体
感的にはほとんど同じだ。おまけに眠気というのは伝染するもの、ふーん、ふぃーんと気持ち
良さそうな鼻息を耳の後ろに感じて、あ、先に独りで寝るなこら、もっといろいろ……してえ
の……に……。



****


(重てえ……)

 重いよ大河。それにちょっと寒みいし。
 少し覚醒したものの目を開けられる気がしない竜児は、抱き合った柔らかい者に擦りよって
顔を埋めてみた。肩ごと左右に揺するように擦りつけて、あああったけえ、ふよふよして気持
ちいいよ。ちゅっちゅっちゅ、たいがのきょにゅ〜いい匂い、たいが、ぁ……?

 がばっ!

 さすがに目が開いた。くそっ、いつの間に泰子が。ああもう5時過ぎか。テレビの上の時計
に首を向け、夜光塗料のつくる角度を見て時刻を知って、ゆっくりと上体を起こすとどっくん
どっくん拍動を感じる。増した血流ですっかり目も覚め、あらためて状況を把握する。

 まだ薄暗い夜明け前の八畳居間、いつものように帰宅した泰子はいつものような酔っ払いの
勢いのまま、抱き合って寝落ちしていた俺たちに覆いかぶさり力尽きた……とみた。確か寝落
ちする前に大河が占めていた位置にまるっと収まっているから、二人の隙間をこじ開けながら
ズブズブ落ち込んだわけだ。
 その大河はと見れば、ほとんどこたつからななめに蹴り出されて丸くなっていた。まあ寒け
れば自力で入り直すだろうから暑くて自分から這って出たのかもしれない。

 卓上には貪り尽くされたコンビニおでんと新作プリンの空きカップが転がって二時間ほど前
のささやかな饗宴を想像させた。いちおう泰子はじぶんの定位置で仕事を終えたあとのくつろ
ぎタイムを堪能してからこの不埒な行動に及んだらしい。

 子供っぽいほえほえアタマではあっても母は母。普段しない行動に出た動機が問題だが、と
考えた竜児はこたつ布団をめくって自分の着衣を確かめる。良かった、乱れてはいない。別に
泰子から性的に悪戯をされたなんて疑ったわけではもちろんなく、大河と自分が傍目にはケシ
カランと思しき状況で寝落ちしていたからこうなったんじゃないかと思っただけだ。

 とまあ、先ほどから竜児が大勢に影響のないつまらん事を一生懸命考えているのも、寝ぼけ
半分とは言えいい齢して母のおっぱいしゃぶっちまったぁ(谷間だが)というショックに加えて、
しばらくの間それをよりによってな方向で誤認していた事実にも竜児は大いに傷ついたからで
もある。“大河の巨乳”なんだよそれ?“でっけえミニ四駆”みたいだが、位相幾何学的に解
釈すればどんなに大きくとも何ら不思議はなく、aの膨らみが慎ましやかな大河が一番好みだ
がbのFカップ大河も同じ大河と言えて、cのムネが背中側に膨らんでる大河だけを別扱いで
……なに考えてんだ俺。

(忘れよう……秘密秘密……ん?)

 ようやく落ち着いてきたら、酒くさい。というか唾くさいのに竜児は気づいた。あちこち嗅
いでみたら、うへえ、やられた。


 抵抗がないのをいい事に乱入母がべろべろ蹂躙しまくったのだろう、カオがくさい。まあこ
れは中学生くらいまで連日やられていたことだからそれほどのショックはないけど、唾は乾く
となんでこんなにくさいのだろう。他人じゃなく親子なんだからもうちょっと親しみを感じる
ようになっていてもいいはずだが、進化論的に。

 ともかくカオ洗おうと、竜児は静かにこたつを抜け出して迂回。ついでに哀れに丸まってる
大河の側にしゃがんで寒がっていないか確かめる。

(うん。こいつもやられたのか)

 寝入る前に髪を編んでおかなかったせいで盛大にほつれ毛を絡ませてる大河の頬に顔を寄せ
てくんくん嗅いでみれば、自分と同じような酒くささ。たぶん眠りが浅くなったときに夢うつ
つで「くさぁ」などと思ったのだろうか不機嫌なツラしてる。
 丹前の襟をかき合せて縮こまってるのを抱きあげて、台所から入ってすぐ本来は竜児の席に
なってるところで腰までこたつに突っ込んでやってもぐにゃぐにゃ脱力していて起きず、竜児
はしばらく眺めてから洗顔に行った。

 物音を立てないようちょろちょろ流した冷たい水できれいにカオを洗い、居間に戻って泰子
を抱え上げるも引きずって部屋に敷いておいた布団に押し込んでやった。仕事着がシワになっ
ちまうが……まあ、いいか。ふすまをそっと閉めて嫁との仲を裂いた姑の隔離完了。

 明け方の冷え込みが身に沁みて、こたつに戻り明るくなるまでもうひと寝。……の前にどう
しようかちょっと迷ったが、結局竜児はポットのぬるま湯をガーゼタオルに絞って脇に座ると
丁寧に大河の顔を拭き出した。。

(起こしたら可哀想だが、クサくてうなされるのもなあ)

 彼女のほつれ毛を指先で梳いて、力を込めずに少しずつ頬から拭っていった。いつの間にか
身体を伸ばしていた大河に添うようにこたつに入り込んで作業に没頭し始める。最初に寝顔を
見たのはいつだったか……ああそうだ出逢った翌朝だった。あまりにかわいらしくて心臓をギ
ュッと掴まれたような感じになって。

 触れた時に冷たくはないだろうけど、水気を含んだもので顔を拭われて目を覚まさない人と
いうのはまあ、普通いない。うーんとか、あーとか微かな声を大河がもらすたびに竜児は手を
止めて寝息が戻ったらそうっと続行する。
 そんなことを繰り返しているうちに親心なのか男心なのかよく分からなくなってきた。寝顔
から不機嫌さが次第次第に消えていったのを見て湧くのは親心であろうし、(ちゃんと拭けた
かどうか確認するだけだからな……)とか何とか心で言い訳しながら大河のこめかみや額の生
え際をくんかくんか嗅いでみるのはたぶん男心のうち、と自分でも分かってはいる。

 そんな、あらかた用は済んだのに作業を終えたくない竜児が顔を寄せていると、突然大河の
目が開いた。

「りゅー、ぅー、」

 とろんと半眼で光なく。おそらくは眠りの底に近い表情を間近で認めた竜児は、反射的に言
い終わりの、じ?を発声しようとする唇をちゅっと塞いでしまった。さっきからしたくてした
くて疼くような塊を胸に抱えていた。
 しょうがない、と思い、口実だよなとも思い。そうしてやっぱり起こしたらいけない気持ち
も投げ捨てはせず、大河の息を邪魔しないよう触れるだけの優しいキスをと思うのはなにも竜
児がことさらにロマンチストだからというわけでもないだろう。こんなとき男という者は大抵
そうする。

「もっ……とー」

 しまったと思った。こいつは起こすタイミングによっては寝惚け方が尋常ではないと知って
いて忘れていた。ごめんうそ。忘れてなんかいなくて無視していただけ。誰に謝ったのかは竜
児自身にもわからないが、宙を彷徨った細い腕にまたも首根っこを捕まえられ激しく水っぽい
お返しのキスを受け始める。

(あああ、せっかく顔洗ったのに)


 もうキスと言うよりは上下の唇と舌で顔の上を歩きまわられてると言った方が正確だ。本人
としては朦朧としながらもちゃんとしている気でいるかも知れないが、半開きの目にはきっと
視覚はなく、触覚だけを頼りにべーろべろ。その証拠に全然唇を探り当てていないし、ヨダレ
流しっぱなし。部屋の冷気に触れたほっぺた寒い。
 うわーん、もういいだろ!
 ついに竜児もヤケを起こして大河のカオをちゅうちゅう吸い返し始めた。まあこっちは目が
覚めているので「起こしちゃってもいい」程度ではあったけど彼にとっては綺麗に取り繕った
直後の台無し感と親心男心をミキサーに掛けた青汁まずい!もう一杯!状態と言えた。

 薄暗く寒い部屋で、割と緩慢に、ロマンもヘッタクレもないちゅっちゅぺろぺろ行為をして
いると何故かそれでもヌクヌクと幸せ感に包まれてきて、そのうちにまたしてもこたつめの魔
力が……。


****


「……なんだろーね?つーんとくさい」
「……カオ洗ってこい」
「それに寝たの窓側だったはずなのに……はっ?まさか」

 遅い冬の朝も明けきって、窓の外では雀がちゅんちゅんやかましい。
 頭ぼさぼさで半身を起こした大河は傍らに寝そべる竜児を見下ろしてぶちぶち不審そうに文
句を垂れ、次いで着衣の乱れがないか確認したり。

「なんにもしてねえよ……ふぁーーあ」
「……あんたも唾くさい。なんにもってことはないでしょ」

 屈みこんでくんくん竜児の顔を嗅いで、さらに問い詰める。

「お前はなーんにも覚えてねえのか?」
「え?あ?……えと」

 ぺたんこ座りの股間に両手を挟みこんで肩を落とし、大河は小さく俯いて真っ赤に染まって
いく。それを仰向けに見上げた竜児には寝惚けでなく寝たふりだったのかなと思えたくらいだ
ったけど、そんなわけもなく。

「ゆ、夢見たんだと思って……た」
「そっか。……んしょっ。夢ってことにしとこうか?」

 竜児も起き上がって片手でもこもこ丹前を抱き寄せると、力なくぽてっと倒れこむ。

「覚えがないのってやだなー。1回損した気分になっちゃう」
「損はしてねえから安心していい。……わかった。全部順を追って教えるからお前の見た夢も話せよ?」
「し、仕方ないわね。でもご飯が先」

 首を伸ばして竜児の耳元にちゅっ。前髪をたくし上げて大河のでこにちゅっ。その動作でで
きた隙、竜児の喉にもう一度大河がちゅっ。きりがねえ、と彼女の目を見て彼氏が微笑むと少
しばかり恥ずかしそうに俯いて、視線だけを上げてくる。

「あーーーーっ唾くさい♪」
「朝っぱらから何してんだろうな?俺たち」
「こたつのせいね。あ、やっぱりうちには要らないわ。エアコンあるしね」
「なんでだよ。気に入ったんじゃねえのか」
「ここで入ればいいもの。独りで入ったってMOTTAINAIよ……ねえ?」

 そんな同意を求められても竜児は困ってしまうのです。



〜おしまい〜



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