――この世界の誰一人、見たことがないものがある――


「ほら早くしなさいよバカ犬!!」


――それは優しくて、とても甘い――


「わかったからちょっと待て!!もうすぐ弁当詰め終わるから!!」


――多分、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ――


「本っ当にグズなんだから!!この駄犬!!」


――だからこそ、世界はそれを隠したのだ――


「なっ!?てめこの弁当作ってやってる俺に対して言う台詞かそれ!?」


――そう簡単に手に入れられないように――


「うっさいわね!!遅刻するって言ってんでしょうが!!」


――だけどいつかは、誰かが見つける――


「あぁもう!!お前に弁当やんねーぞ!?ってコラ!!勝手に持ってくな!!」


――手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる――


「ほら、走るわよ!!」


――そういうふうにできている――




走る。
何を置いてもとにかく走る。
高校二年生になったばかりの朝、学生である限り、いや、社会人になってからも逃れられない時間という縛り、『遅刻』から逃れるために俺は全力で走っていた。
(全く、コイツがあんなに朝飯食うからこんなことに……)
走りながら隣を走っている自分よりもかなり小さめの同級生を見やる。
すると、視線に気付いたのか、隣を走っていた『見た目だけは美少女』が、その口を開いた。
「何よ!?キリキリ走りなさいよ!!それとアンタのその恐い目でこっち見ないでよね!!気分が悪くなるわ!!」
「ぐっ!!お前人の気にしている事を……」
いきなりの暴言を吐いた少女の名は逢坂大河。
見た目は高校生というにはやや小さいものの、その容姿について10人に尋ねれば、9人くらいは美少女と答えるであろうほどの美少女だ。
ふんわりとした長い茶髪と小さな体躯が特徴的な彼女は、時として『人形』のように綺麗だと思うことさえある。
そんな彼女がたった今吐いた『暴言』は、俺に甚大なるダメージを与えた。
俺は生まれつき目つきが悪い、いや、『恐い』と言うべきか。
父親はいわゆる『ヤ』のつく『そっち系』のお方だったらしく、その遺伝子を『見た目だけ』は十二分に受け継いでしまったわけだ。
と言っても、俺は自分の父親に会った記憶が無い。
物心ついたときには自分の母、『泰子』と二人暮らしだった。
泰子に、何度か自分の父親について尋ねた事はあったが、『パパはね、天国にいるの。いつ刺されててもいいようにお腹に週刊誌入れててね。カッコ良かったわぁ♪』という惚気話しか聞くことは出来なかった。
だが、死因を聞く限り、父親は本当は刑務所にでも入っているのではないかとも思う。
そんな生死不明、身元不明、記憶すら不明瞭な父親に似ているというだけで、俺は散々苦労させられてきた。
初対面の人間は俺を見て、
「うわっ!ヤンキーだ!」「こわっ!不良だ!」
と第一声を上げるのが常だった。
そんな俺だから、いつしか変な癖がついていた。
それは、自分の前髪をひっぱって顔を隠すというようなもの。
あまり人に顔を見られるのは良くないという、苦肉の策でもあった。
そんな俺が何故、この『見た目だけは』美少女の逢坂大河と一緒にいるのか。
(事の発端はコイツだよな……)
走りながらここ数日の事を思い出す。


***


始業式。
無事に大橋高校二年へと進級できた俺は、クラス発表がされている掲示板を見て浮かれていた。
あの櫛枝実乃梨と同じクラスだったからだ。
櫛枝実乃梨とは、一言で言って太陽のような奴だ。
あいつは俺の顔を見ても怖がらなかった。
ただそれだけが嬉しくて、気付いたらいつも目で追いかけていた。
こういうのを片思いっていうのかな、とか最近は思っていた。
なにげにうっかり詩を作ってみたり、春夏秋冬ドライブでかけるなら……みたいな曲のリストも作ってみた。
俺は高校生なのでもちろん免許は無いが。
でも、俺に普通に話しかけてくる奴、それも女なんて奇特以外の何者でも無い。
これまでの俺の人生がそうだと告げているのだ。
しかし、そんなことで浮かれていたからか、俺は廊下で『何か』にぶつかった。
『誰か』、ではなく『何か』。
だって正面には誰もいないと思ったから。
いくら俺だって、髪を引っぱって視線を隠してもちゃんと正面は見てるんだ。
だから胸に感じるドンッ!!という鈍い感触は、絶対物だと思った。
だが右を見ても左を見てもそれらしい物は無い。
一応上も確認するがこれも無し。
なら……と下を見ると、茶色一色、ふわりとしたコンディショナーの香り。
途端に暗転。
覚えてるのは、
「人にぶつかったなら謝りなさいよこのクズ」
という暴言。
殴られた、というのに気付いたのはそれから数分して目が覚めた後だった。
一体何だったのか、と疑問に思ったが、すぐに予鈴が鳴り教室へと戻る。
じんじんくる顎をさすり体調を確かめつつ、自分の席に先生が来る前に座れたのはまさに僥倖だった。
最初から遅刻とかは勘弁して貰いたいし。
しかし、思わずホッと一息吐くのと同時、隣から発せられたボソリとした声に心臓が跳ねる。
「……アンタ、同じクラスだったの」
その声に反応して隣を見ると、思わず「ごめんなさい」と謝りたくなるほどの美少女がいた。
「おぅ!?」
だというのに、俺の体はガタガタと震えている。
何処からどう見ても華奢な体つきな彼女は、頬杖ついてこちらを見、つまらなそうに視線を外す。
同時に長くウェーブのかかった茶色い髪がふわぁっと浮き上がり、先程感じたコンディショナーの香りが鼻につく。
肩は小さくスラリとした体型は、小柄というよりは「子供」というのが似合っている気もしたが、しかし纏うその風格と堂々とした出で立ちがそれを感じさせない。
スカートから伸びる二本の足は白く細く美しく。
体を支えるカモシカのような細い足は、何処か儚いという言葉さえ感じさせる。
非の打ち所の無い美少女、だというのに俺の第六感が危険だと訴え続けている。
思わず、自分の顎に手が伸びた。
「痛いの?まぁ自業自得でしょうけど」
興味なさそうなのは相変わらずだが、いつの間にか彼女はこちらを見ていた。
痛いのか痛くないのか聞かれればそりゃあ痛い。
「まぁ気持ちいいくらいに上手く入ったから許して上げるわ」
まぁ……そうじゃないかとは思っていた。
話の流れ、覚えている髪、匂い、そして自分より頭一つ分くらいは低い座高。
決して座高のみが低いわけでは無い。
『全体』が低いのだ。
だから気づけなかったのだろう。
きっと俺は彼女と廊下でぶつかったのだ。
「おぅ、悪かったな」
悪寒の正体もわかったことだし、ここは一応謝っておこう。
許す、という言葉は聞いたものの、ぶつかった事実は消えないワケだし、声にだした謝罪をしておけば後腐れも無いはずだ。
だというのに、頬杖付いていた美少女は、興味なさそうな先程までの態度とはうって変わってじーっとこちらを見ていた。



「な、何だよ」
引いてきた顎の痛みの代わりに、嫌な汗がだらだらと背中を伝う。
長い睫の下にあるぱっちりと開かれた瞳でただじっと見つめられる。
頬は同じ人間とは思えぬほど柔らかそうで、薄い桜色が何処か艶めかしい。
「……極悪面。変な目でこっち見ないでよね」
「んなっ!?」
衝撃が走る。
その整った小さな口は、容貌からは想像も出来ない暴言を吐き出した。
「……どうせ、悪いだなんて思ってないくせに」
呟くように言われた一言が、やけに胸に響いた。


***


曰く、「手乗りタイガー」、それが彼女の通り名らしい。
休み時間に簡単に尋ね歩いてみただけだが、それでも彼女は有名らしかった。
ちなみに俺も有名らしく、いろんな意味でこの調査が大変だったことはふせておこう。
その容貌と名前から付いた渾名。
俺も感じたことだが、彼女は背が低い。
聞くところによると145cmを切るそうだ。
そして名前と性格。
彼女は逢坂大河というのだそうだ。
大河=タイガーという安直な流れだが、どうも彼女は気性が荒いらしい。
俺もその片鱗を味わったが、とにかく口調が悪く、気に入らない相手はぶっ飛ばすのだそうだ。
でも、そこにいい知れない違和感を感じた。
確かに俺はぶつかっただけで殴られた。
あれが気に入らないから殴ったまでだ、と言われればそうかもしれない。
だが、
『人にぶつかったなら謝りなさいよこのクズ』
この注意をするような言い方はどうだろう。
口は悪い。
確かに口は悪いが間違ったことは言わず、人を諫める事の出来る人間が、はたしてそこまで酷い奴なのだろうか。
あの容貌から入学当時は告白ラッシュだったということも聞いた。
と同時に、わかった気がした。
聞くのは殆どが、その逢坂大河なる人物の「他人から見た内面」だ。
まぁ逢坂本人に聞いたわけではないのでそれが当然と言えば当然だ。
でも、気になった。
『……どうせ、悪いだなんて思ってないくせに』
あの一言が、胸につかえてムズムズする。
自分の内面を見せても、受け入れられない。
そんな固定観念が見て取れると言えば言い過ぎだろうか。
でも、普段から顔の事で勘違いされる俺だからわかる気がする。
きっと、周りの奴は逢坂の『見た目だけしか見ていない』のだ。
話してみれば、案外良い奴かも知れないじゃないか。
勘違いされる辛さは良くわかる。
明日会ったら、もう少し話しをしてみようか。


***


その日の帰り、学校から駅前まで買い物に出た。
最近はこちらもなかなか見逃せない商品が出そろっているのだ。
問題は時間下校時間はラッシュ時間と重なるという点。
特売などをポロッと持って行かれることもしばしばある。
我が家の家系を鑑みても、今日はなんとしてもタイムセールを制したい。
「ん?この弁当屋つぶれちゃったのか」
いろいろ今日手に入るであろう食材を駆使した献立を考えながら歩いているとシャッターの閉まった店があった。
張り紙には、『経営不振の為看板を下ろします。ご愛顧有難うございました』との文字。
「不況だなぁ」
つくづくそう思う。
俺がこうやってMYエコバック持参で駅前に寄るのも、収入が少ないのも、カビが取れないのも。世界中の熱帯雨林が消えていくのも全て不況のせいだ。
若干誇張が含まれているかもしれないが、結局そういうことなのだ。
あ〜やだやだ。こういう時なんていうんだっっけ?
「……遺憾だわ」
そう、遺憾だ。ん?ちょっと違う気もする……って……え?
聞いたことのある声。
「おぅ!?」
次いで香りと出で立ち。
誰が見まがえようか。
今日一日どれだけこいつのことを聞き回ったか知れないのだ。
「……?何よアンタ……?ああ、隣の席の極悪面じゃない」
ギロリと睨み付けられる。
随分と機嫌が悪そうだなオイ。
極悪面って……いくらなんでも別の覚え方して欲しい。
しかし、明日だと思っていた機会今回って来たと思えばそれでいいや。
「えっと、なにしてんだお前?」
「見てわからない?買い物に来たのよ」
ふん、とふんぞり返りそのフリフリで高そうなって……なんて服着てるんだこいつ。
幾重にもフリフリが重なったその布はしかし、決して皺になることなく彼女の身を包み、そっと下から生える足には学校とは違い真っ白いソックスが覆う。
靴も赤く可愛らしいローファーを履いている。
(まるで、人形のように綺麗だ)
そう思うほど彼女は綺麗で……綺麗すぎて何処か作り物めいたように感じた。
「……何よ?」
「あ、ああ悪い何でもねぇんだ。お前ここの弁当屋に来たのか?」
「そうよ、何か文句ある?」
文句ならあった。
なんで弁当なんだ?とか親に作ってもらえよ、とか。
でも人の家庭環境なんてそれぞれだ。
俺は他人様の事を言えるほど偉くも立派でも無い。
「……お前今日は一人なのか?」
「アンタに言う必要があるの?」
不遜な態度。
当然だろうな。
今日知り合ったばかりの男にそんな事をきかれたらこうなっても不思議はない。
「いや、良かったらついでにお前の晩飯も作ってやろうかと思っただけだ。気を悪くしたならすまない」
俺は軽く手を振って踵を帰す。
タイムセールまでもうあまり時間がないのだ。
逢坂は何も言わなかったし、きっとその気は無いのだろう。
幾ばくかの残念感はあるが、今はそれよりも買い物が大切だ。


***


今日も朝から良い天気だ。
だというのに、カーテンを全開にしてもウチにはちっとも日差しが入ってきやしない。
「くそぉ……」
思わずひとりごちる。
数年前、急にとなりに高級高層マンションが建設された。
おかげで高須家は陽のご相伴にあずかれなくなったのだ。
「あのマンションのせいで毎日毎日カビとかカビとかカビとか……」
段々とイライラが募り始め、
「いやぁん♪竜ちゃんパパみたいな顔してるぅ♪」
爆発した。
「あんな奴と一緒に……!!」
「いやぁん痺れるぅ♪」
そして消沈した。
俺の母、泰子が歳の割に幼い顔と幼い仕草で喜んだ為だ。
肩を落としてゴミ袋を掴み家を出る。
「あれぇ?やっちゃんのご飯はぁ?」
開け放たれた窓から声が聞こえ、
「いつもんとこ!!」
ゴミを投げ、烏よけの網をかけて家に戻ろうとして、前方を歩く茶色いロングの髪の小学生もとい中学生……もとい高校生がいるのに気付く。
(逢坂じゃねぇか)
逢坂はふらふらと体調悪そうに右へ左へ泳ぎながら歩いていた。
(大丈夫かアイツ?)
今にもぶっ倒れそうな足取りで歩……あ、こけた。
「あ、逢坂大丈夫か?」
「……何?またアンタ?」
手を差し伸べるが払われ、機嫌悪そうに立ち上がりまたこけそうになる。
「お、おい!!」
慌てて体を支えてやるが、
「!?触るなこのエロ犬!!」
「おわぁっ!?」
突き飛ばされる。
何すんだこの野郎と怒りかけた時、場を壊す音が鳴り響いた。
ぐぅ〜〜っ♪
「………………」
「………………」
しばし時が止まる。
「……腹、減ってるのか?」
「……アンタには関係ないでしょ」
まぁそうだが、袖振り合うも多少の縁というしな。
「腹へってんなら素直にそう言えよ。ってか昨日あれから飯食わなかったのか?」
「うるさいわね。コンビニ飽きちゃったのよ」
ふん、とそっぽを向く。
そんな仕草が、どこか面白かった。
「コンビニ弁当とか既製品ばっかりだと栄養偏るぞ」
「余計なお世話よ」
「……まぁそうかもしれんがお前さえ良かったら飯食ってくか?ウチはこれから朝飯なんだ」
「………………」
「まぁ無理にとは言わねぇけどよ」
早いところ食べないと遅刻してしまう。
俺は逢坂に背を向け、
「……食べるわ」
もう一度振り返った。
「おぅ?」
「しょうがないから食べてやるって言ってんのよ」
いつの間にか、逢坂は俺の隣に並んでいた。    


***

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