***

「いやぁ、絶好の行楽日和になったなぁ!!」
駅のホームで北村が楽しそうに話しかけてきた。
「おぅ、そうだ……な?」
最後の疑問符は、驚きか疑問かはたまた両方か。とにかく、俺に二の句を告がせないようにするにはそれで十分だった。
北村は腰を落とし、両膝に手を乗せて上半身全部で顔はこちらを見たまま、まるで観覧車のようにグルグル回る。
「どうしたー!?元気ないよー?声出していこう!!」
北村の顔がずれたと思ったらそこには櫛枝の顔。ようするにアレだ。
たった二人でチューチュートレインのアレだ、ああもう突っ込まねぇぞ。
櫛枝が何か不穏な事を思いつきそうだったが、程なくして、川嶋も合流。
人数が揃った所で電車へと乗り込んだ。
「えーと逢坂さんと高須君はそこ、実乃梨ちゃんと祐作はそっちで私はここね」
以外にも川嶋は取り仕切るのが上手い。
北村顔負けの指導力で率先して電車の席順まで上手い事決めた。
窓際に俺、正面に大河。俺の隣に川嶋、通路を挟んで川嶋の隣に櫛枝、櫛枝の正面に北村。
あっという間にそんな構図になった。おっと、感心してる場合じゃない。
「よかったらみんな食べてくれ」
俺は今朝作ってきた弁当、と言ってもそんなたいしたものじゃなく、おにぎりとちょっとしたおかずだが、それを配る。
おかずには、ゆで卵、ウインナー、卵焼き、から揚げ、とシンプルかつ食べやすい物を選んだつもりだ。
「流石だな、高須」「お〜超ウメー!!」「ウチにお嫁に来る?」「竜児のご飯はなんだって美味しいんだから」
みんなの、心からの賛辞に、
おぅ、とそっけなく応えるも持って来て良かったと心の中でガッツポーズ。
やがて窓から海が見え始める。
「わぁ、竜児、ね、海だよ海!!」
「おぅ、いいもんだなぁ」
大河が目を輝かせて喜び、期待度が上がったところで下車。今度はバスに乗り換える。
ここでも川嶋は普段の北村のようにリーダーシップを遺憾なく発揮した。
一番後ろの繋がった席に、俺を中心に右に大河その隣に櫛枝、俺の左に川嶋、その隣に北村。
道は少し悪いのか思ったよりも揺れて、
「きゃっ!?あ、ごめん竜児」
何度か俺の方に大河は寄りかかってきていた。
「おぅ、大丈夫か、大河」
がっちりと抑えてやる。
「うん……」
何処か照れたように俺の腕に大河が寄りかかったところで、
「きゃっ!?あ、ごめんねぇ高須君♪」
川嶋も寄りかかってきていた。
この時、俺は何故か背筋が寒くなったのだが、ホントもの凄く寒くなったのだが、理由はわからない。
バス停に着くころには、何故か俺は消耗していた。ホントなんでだろう。
そこから少し道なりに歩いて数十分。
「一体どれだけ歩かせるのよ」
大河の機嫌が悪くなって来た頃、
「もう、見えてるでしょう?裏に回って……そのままデッキに上がれると思うから」
言われたとおりに少し山になったところを歩き、木々が生い茂りながらもきちんと整備された舗装を進んでいくと、そこには思わず声を出したくなる光景が待っていた。
「おおぅ」「わぁ」「おおー」
口々に出す深い感激の声。
デッキからは、まさにプライベートビーチとも呼べる海へと繋がる道があり、白い砂浜と綺麗な海が手招きするかのように佇んでいる。
「ここがあーみんの別荘?ここに泊まれるの?」
「そうよ実乃梨ちゃん、でもまずは掃除かなぁ、去年から誰も来てないし」
その時、俺はかつて無いほどの胸の高鳴りを感じた。
「去年から!?」
聞き返してしまう。
「?え、ええ」
つい、口元が緩み、「ひっ!?」川嶋を怯えさせてしまう。
だが、今は俺の意識にあるのは一年ほったらかされたという別荘のみ。
一年もほったらかされたということは、すっかり埃は溜まり、あっちもこっちもついでにそっちも汚れて酷いはずだ。
ゾクゾクゾクッ!!!これは大変な戦いになりそうだぜ!!
「竜児?おーい竜児?みんなまずは海に行くって行っちゃったよー?」
俺は大河の声も聞こえぬ程これから行う掃除に心を奪われていた。


***


まずはバケツに雑巾を浸してしっかり絞る。
おおぅ、足跡が付くくらいに埃がうっすらと積もってるな。
フフフフフ、フフフフフフフフフフフフ!!!!!!!!!
心の奥底からムズムズと俺の本能とも呼べる想いがわき上がって来る。
ああ、あそこはもっと凄いに違いない。いや、あっちも綺麗に拭いて、あの狭そうな所は高須棒で……。
そう思い、さっとポケットから鉛筆に布を巻いてゴムでグルグル巻きにした即席掃除道具を取り出す。
持ってて良かった高須棒。さぁて、これで準備は万全だ。
まずは雑巾で床を舐めるほどに綺麗してやろう。
おおぅ!?拭けば拭くほど埃が消えていく。いいねぇ……いいねぇ!!おらっ!!さっさと消えろこの埃め!!お前は俺が根絶やしにしてくれる!!
「……ぅじ、……ゅうじ」
さぁて、次は……。
「竜児!!」
「おぅ!?」
ぐふっ!?そこは反則……。
俺は股に手を当てその場にうずくまる。
金的、国際ルールでは反則である。
「おま、お前……一体なにを……」
「アンタが私を無視するからよ、何度も呼んでるのに」
ぷいっと不機嫌そうに俺から視線を逸らすのは、最強にして最凶、最悪にして災厄をもたらす大橋の虎こと大河だった。
「何よ、何か言いなさいよ?」
「……言わなくてもわかるだろ」
俺は黙って恨めしそうに大河を見つめた。

***

みんなでビーチバレーを始めるが、竜児が来ない。
「逢坂さん、高須君呼んできたら?もしくは掃除手伝ってきたら?」
珍しくばかちーが私にまともな案を出してくる。
まともすぎてつい疑うような視線を向けてしまう。
「何よその目?言っとくけど人の善意を信じられなくなったら終わりよ?何のために電車やバスでアンタと高須君を近づけてあげたと思ってるの?」
私は目を見開いた。偶然じゃ無かったんだ……。
「ま、いいけどね。プールでのお詫びも兼ねてアンタらを少し応援しようとか思ってたんだけど、逢坂さんがいかないなら私が行こっかな〜?」
「わ、わかったわよ、行けばいいんでしょ行けば!!」
そうして、恐らくは掃除に身も心も奪われて近づきがたくなっているであろう竜児の所へと向かう。
竜児はリビングらしき部屋の床を拭いていた。笑いながら。ハッキリ言って、恐い。
「ねぇ竜児、みんな待ってるから先に遊ばない?」
声をかけてみるが、聞こえていないみたい。
「おーい、竜児、竜児ったら!!」
竜児は埃に目を奪われているようで、本当に私には気付いて……なんですって?
私より埃が、掃除が大事だとでも言うの?
ムカっと来た。
「もう、竜児!!」
ドカンと一発蹴りを入れ……ん?何か足に触れたような……まぁいいか。
「おま、お前……一体なにを……」
「アンタが私を無視するからよ、何度も呼んでるのに」
私はぷいっとそっぽを向く。
「何よ、何か言いなさいよ?」
「……言わなくてもわかるだろ」
竜児が何か熱い視線で私を見つめて……なんか照れるわね。
ハッ!?まさか、言葉なんてなくても通じ合ってるだろ俺たち、という意思表示?なんてこと!?またやらかしてしまったわ!!
「そ、そうね。でも竜児、その、そういうことは夜の方が……」
「?だから今掃除してるんだろ?で、そういうことってなん……大河?」
何て言うことなの!?私は一体どれほどドジなのだろう!!夜のために、『私との夜』のために掃除を出来るだけ早く終わらせよう、とは!!こうしちゃいられない!!
「竜児!!私も手伝うわ!!」
「お、おぅそうか、そうか!!」
竜児は、意外なほど驚いて喜んでくれた。今、私たちの心は一つになっているっ!!


***


「あんたたち、ずっと掃除してたワケ?」
川嶋が呆れたように俺に言う。
「おぅ、あらかた綺麗になったぞ」
どうだとばかりに自慢する。
まずは床。
これは俺が担当し、もう完っ璧に磨き上げた。
ここまで良いフローリングだとワックスをかけられないのが悔やまれる。
さらに窓は大河が担当した。
意外にもこれも綺麗、いや意外なんて言ったら失礼か。
こいつもようやく掃除の心に目覚めたようで、俺の顔を見るなり、もの凄いスピードで、しかも二刀流ならぬ二枚雑巾で窓を磨き上げていた。
少しスピードが落ちて、ニヘラァとしてるな、と思ったら俺を見て、またスピードを上げる。
きっと掃除で綺麗になったのに感動していたに違いない。
「ちょっとタイガー、あんたそれでいいの?」
川嶋が呆れ果てました、という態度で大河に聞く。
しかし大河は、
「ふっ、浅いわねばかちー、全てこの掃除にも意味があるのよ!!」
おお!!大河よ、掃除に意味まで見つけるとは、お前にもう教えることなどこと掃除に関しては無いかもしれない。
「ほう、見事なものだな。流石は高須、掃除に手を抜くと言うことを知らないな」
北村も感心したように頷く。
流石北村、その眼鏡も伊達ではないな。
「と、そうだった。亜美、確かバイクがあるんだろう?買い出しに行ってこようと思うんだが、いいか?」
「ああ、それならあと一人くらい連れて一緒に行った方がいいよ、結構な量になるし正直祐作のセンスじゃあねぇ」
「ふむ、それなら……逢坂、手は空いているか?」
「えっ?丁度今手が空いたところだけど……」
「良し、じゃあ買い出しに行こう」
「え?で、でも竜児の手伝い……」
「おーう、それなら私がやるよ、大河」
タイミングを見計らったように櫛枝が現れる。
まぁ、俺としてはどちらでも……。
大河が、ちらちらとこっちを見ている。
俺としてはどちらでも……どちらでも……少し、大河の方がいいかな。
「北村、たい「よぉし!!じゃあ行こうじゃないか、ハッハッハッ!!」が……」
ああ、引きずられるようにして大河が離れていく。
まぁ、しょうがないか。
「さて高須君、いや高須シェフ!!今日は何をお作りになるので?」
櫛枝が少しふざけながらも宣言通り手伝ってくれるようだ。
「おぅ、今日はカレーだ。甘いのと辛いのの二つを作る」
「?一つでいいんじゃないの?」
「大河は辛いのダメなんだ。だから別に用意してやろうと思って」
「ほほー、大河のこと良くしってるねぇ、おねぃさんこれなら安心だ」
「は?おねぃさん?」
「なーんでもないよ、じゃあさくっとやりますか!!」
そう言って櫛枝は包丁を握り、おおぅ?
「凄いな櫛枝、いいテク持ってるじゃねぇか」
「あ、今誉めてくれた?やったぜぃ♪」
櫛枝はトトトト、と静かに、しかし早くまな板の上の包丁を動かしていく。
「私さ、弟のお弁当作ったりしてたし、バイトで鍛えられてますから」
「バイト、か」
「ん?高須君バイトしたいの?紹介するぜ?超紹介するぜぇ?」
「あ、俺は……」
バイト、俺は、俺は……。
いつの間にか俺の方の手は止まっていた。



「高須君?どうかした?」
はっとする。
「いや、なんでもない」
そう、気にしちゃいけない。
バイトは正直したい。
泰子の助けになってやりたい。
でも、その泰子が止めて、という懇願を無視したら、意味が無い。
「まぁ、俺がバイトしようと思った時は頼むよ」
だから、今はまだ、バイトはしない。


***


北村君と買出しに行って帰ってくると、すでにカレーはほとんど出来上がってた。
「いや、櫛枝お前結構すげぇな」
「いやいや、高須君こそ、この櫛枝、まだまだ精進が必要のようでござる」
二人もなんか、いい感じになってた。
ムカムカする。
「おぅ大河、お疲れ、風呂沸いてるから先に入って来いよ」
ようやく私に気付いた竜児は、私の顔を見もしない。
私がどれだけ急いで戻って来たと思ってるの?
「どうしたー?大河元気ないよー?」
みのりんが明るく私の顔を覗き込む。
「何でもないよみのりん、お風呂入ってくる」
私は居づらくなってこの場を後にした。


***


「さて、これで準備はいいな」
ようやく出来上がったカレーに満足する。
「うわぁ!!ねぇ高須君こっちこっち!!」
いつの間にかベランダらしきところから外に出ていた櫛枝が俺を呼んだ。
「おぅ、どうした?おおぅ……」
外は暗く、明るかった。
闇の帳が下りて、夜を強調する中、幾千幾万の星々が煌いている。
櫛枝は木の手すりに腰掛けて空を見上げていた。
ふと、さっき思ったことを聞く。
「櫛枝、さっきの大河、元気なかったか?」
「んー?ちょっとねー、なんか気落ちしてるみたいだった、かな」
そうなのか?俺は、全然気付かなかった。
「私は大河とずっと一緒にいたんだもん、それぐらいわかるよ」
その言葉が、何故か悔しかった。
俺だって大河のことはわかってる、そう言いたくとも、言えない。
それが何故か凄く悔しい。
何故こんなに悔しいのかはわからない。
でも、大河を一番理解できるのは自分だと、心の中で思っていた自信が砕け散る。
「高須君はさ、幽霊見える人?」
突然聞かれた。
「幽霊?」
「そう、幽霊。ゴースト。私はさ、目に見えないものも信じてる。でも他の人が見たって言ってるのは信じていない」
何だそれ?
「もしかしたら幽霊なんていないんじゃ、なんて思うこともあるけど、やっぱり信じてる。見える人には見えて、見えない人には見えない。高須君は、幽霊見たい?」
櫛枝の言う、幽霊。何故か頭に大河が浮かんだ。俺は……。
「俺は……見たいのかもしれない。だから心霊スポットにも行くし、恐いDVDも見る、のかな」
「そっか……それでいいんじゃないかな?きっとそのうち……見える日が来るよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「そうだな。おかしい話だが、そんな気がしてきた」
「その意気さ、がんばるのだ高須君」
なんか、櫛枝から勇気をもらったような、そんな気がした。


***


お風呂上り、竜児とみのりんがいない。
何か嫌な予感がする。
っと、竜児とみのりんの声……?
耳を澄ませて聞いてみる。
どうやら、外で二人きりでいるようだ。
胸がズキンと痛む。
「そ……だよ」
「……かしい……だが……」
!!……かしい、だが……香椎、だが!?
ちょっ!?どういうこと!?
何で香椎奈々子の名前が出てくるの?
ムカムカする。
竜児……。


***


「「「「「いっただきます」」」」」
全員で挨拶してカレーを食べる。
「美味い、流石だな高須!!」
北村がカレーを一口食べて、感想を述べてくれる。
「お前朝と同じ事言ってるぞ」
「でも美味しいよ高須君」
川嶋や櫛枝も褒めて……大河?
「どうした、大河。お前のは特別に甘口にしたんだが、不味かったか?」
「……別に、そんなんじゃない」
「ならどうした?」
「なんか、ムカムカするの」
ムカムカ?
「腹でも痛いのか?部屋で横になるか?」
「!!う、うん……あの横にい「なんだ逢坂、お腹痛いのか?胃薬なら持って来てるし良かったら俺の部屋に来るか?」て……」
大河は、何か言って欲しそうに俺をちらりと見つめ、次いで嘆息。
「うん、北村君、お願い」
そしてすぐに席を立ってしまった。
「あ〜あ、タイガーいっちゃたよ高須く〜ん」
川嶋が嫌味な声で「あ〜あ」と続ける。
それが何か癇に障った。
「なんだよ」
「べっつにぃ」
じゃあ言うなよ、というセリフはぐっと飲み込む。
だが、胸の中の抉られるような痛みと、最後の何か言って欲しそうな大河の顔は、ずっと体中を占めていた。


***


竜児は、私のことを実際どう思っているのだろう。
直接言ってもらったことは無いが、好きでないのだろうか。
全部私の妄想なのだろうか。
考えすぎなのだろうか。
でも、私は決めたんだ。
今夜は、竜児と夜を共にするって。
何か、不安な事ばかり起こるから、これで安心したい。
一緒のベベベベベベッドでねねねね寝るだけけけけけよよよ。
そうよ、竜児が求めてこないかぎり……求めてきたら……どうしよう。
わ、私、竜児なら……。
そう思いながら、もう夜中と言って差し支えないこの時間に、竜児の部屋をノックした。


***


ベッドの上に座って目を瞑ること数十分。
足は珍しく苛立ったように落ち着かない。
『あ〜あ、タイガーいっちゃたよ高須く〜ん』
だから何だって言うんだ。
………………………………。
でも、なんか北村の部屋から中々戻って来なかったよな?
いや、俺は別に気にしてるワケじゃ……。
トントントン。
「おぅっ!?」
急に扉がノックされる。
あまりなタイミングについ必要以上に驚いてしまった。
カチャ……。
扉を開けて入ってきたのは、
「……竜児、私お腹の調子良くなったみたいなの」
大河だった。
――――ドクン――――
心臓が跳ねる。
「お、おぅ、それで?」
「うん、えっと、入ってもいい?」
「お、おお?」
いや、我ながらきょどりすぎだ。
おお?なんて良いのか悪いのかどっちだよって言いたくなるじゃねぇか。
しかし、大河はそんなことには気にした様子もなく俺の腰掛けているベッドに腰掛けた。
ギシ……。
ベッドが少し軋む音がする。
大河は俺と肩がぶつかるくらい近くに腰を下ろし、黙って下を向いた。
……下を向いている大河の今日の髪型はポニーテール。
今までポニーテールは見たことが無かったが、大河はどんな髪型でもよく似合うと思う。
今日なんて、窓に加えてテーブルを椅子に座りながら懸命に拭いてる姿が可愛かった。
うんしょうんしょ、と何度もテーブルの端から端まで拭く度に後ろのテールが揺れる姿が微笑ましくて、将来こんな人が家で掃除してくれてたら俺は掃除しなくなるのかな、とか思ったりした。
「ねぇ、竜児」
ぱっと大河は俺に振り向く。
――――ドクン――――
心臓がまた跳ねた。
俺の心臓にはそれしか能のないポケモンがいるのかと疑いたくなる。
ああ、だから俺は竜なのか、とくだらないことを思考し、
「?ねぇったら」
大河の顔が俺の鼻先3cm。
――――ドクン――――
待て落ち着こう冷静になろうはやまってはいけないきわめてなにげないふうにしておれはせいじょうであることをあぴーるしそうだもんだいなく……。
ポフッ。
!?!?!?!?!?!?
胸に、重み。
大河の頭。
膝に、重み。
大河のおしり。
服に、つっぱり感。
大河の綺麗な指。
「……聞こえてるんでしょ、無視、しないでよ……」
細い指に力が加わる。
熱い吐息が、薄いシャツの繊維を通して俺の肌に伝わる。
ギシ……。
またベッドが軋んだ。



緊張のあまりに動けない。
体が鉄のように重く、しかし大河が触れている所だけは異常に感覚が鋭い。
胸では髪の毛一本一本を知覚しているんじゃないかと思うほどの大河の髪を意識し、膝はその重みと感触を脳伝達物質を通して遺憾なく教えてくれる。
極めつけは、
「……竜児、黙ってないで……何か言ってよ」
――――ドクン――――
これだ。
そんなふうに俺のシャツを掴んで顔を埋めたまま喋るのは止めて欲しい。
決して繊維が細かくない夏用のシャツを通して、大河の吐息が俺の肌を直接撫でつける。
つい、手が伸びた。


***


ふわっとした感触。
竜児の声を聞きたくてかけた言葉に返答は今だ無い。
代わりにあったのは竜児の掌の感触。
まるで抱きしめるかのように頭を寄せられ、ふわりと撫でられる。
「あ……」
漏らした声に、竜児は手を止めた。
「わ、わりぃ……」
別に悪くなんか無い。
「そ、そうだ大河、あんま飯食ってねぇだろ?カレー温めてやるよ。ほら、行こうぜ」
さりげなく腰を持ち上げられ、ギシッというベッドの軋む音と共に竜児は立ち上がった。
「あ……うん」
二の句を継ぐ前に竜児は部屋の外に出る。
声なんて出さなければよかった。


***


だだっ広いこのリビングに、たった二人というのはもったいない。
この広さはウチくらいあるのでは無いだろうか。
そんなことを思いながら、俺はランプを光源として大河の為にカレーを用意した。
「はぁ、食べた食べた」
大河はやはりお腹がすいていたのか、いざ食べ始めると勢いはいつもと同じになった。
「何故か、俺まで……」
俺も付き合いで一皿食べ、大河の食べた食器と一緒に洗う為にキッチンに立つ。
こうして洗い物をしているとだいぶ落ち着いてきた。
と、同時に何故大河が俺の部屋に来たかが気になった。
まさか、俺にああすることが目的なわけないだろうし。
思い出して、赤面。
もう何度も洗った皿を洗い直す事で精神の安定をはかる。
「ふぅ」
キュッキュッと皿を拭き終え、大河の待つソファーへと向かう。
さっきからチラチラとポニーテールが動くのが見えている。
どうやら、俺の様子を窺っているらしい。
心なしか「……まだ?」という表情に見えないこともなかった。
全く、俺だから良いようなものの、そんなことを他の男にしてみろ、どうなるかわかったもんじゃないぞ。
――――ズキン――――
先程とは違い、胸に痛みが奔る。
他の男と大河……?
何を考えてるんだ俺は?
俺はただ、さっきのように誰にでも――――ズキン――――あんなふうに膝に乗って――――ズキン――――胸に頭を預けて――――ズキン――――くるのは良くないと……。
胸が苦しい。
大河はそんな奴じゃない、と思う一方「じゃあ何故さっきあんなことをした」という疑問が、不安が、焦燥が俺を駆けめぐる。
「竜児、座らないの?」
気付けば、屈託のない笑みを浮かべて、「待ってたよ」と言わんばかりの大河がそこにいた。


***


竜児がやたらと長く洗い物に時間をかけ、ようやく来たと思ったらボーっとしたまま仁王立ち。
もう、どんだけ待たせるのよ。
「竜児、座らないの?」
私の声に、ハッとなって私を見つめる竜児の瞳は何処までも綺麗だった。
目つきが悪い、とよく言われるが、そんなものを打ち消して余りある純粋な瞳。
そんな、綺麗な目で見られると、照れちゃう。
「お、おぅ座るか」
竜児はやっと腰を下ろす。
私も隣に腰を下ろした。
「………………」
「………………」
お互いに無言。
でも、隣に竜児を感じる。
今日は、なんとなく最後までいけるかも、という予感に駆られる。
思い切ってぱふっと竜児の肩に頭を乗せてみた。
竜児は一瞬ビクッとなって、でも視線は送ってこない。
「こんなに広い部屋なのにせせこましくくっついて……狭いアパート根性が染み付いちゃったみたい」
「……ウチに来るの、嫌なのか?」
「ううん、やっちゃんがいて、ブサ子がいて、そして竜児がいる。嫌なことなんて一つも無い」
「そうか」
「………………」
会話が途切れる。
せっかくの今のムードを壊したくなくて、先へ踏み込めない。
……ガタン!!
「「!?」」
物音に振り返る。
しかし、そこには何もない。
「……何だ?」
竜児が訝しがりながら立ち上がる。
しかし、そこには何もな……ドン!!
「きゃっ!?」
何かが今窓を叩く音がした。
私は慌てて竜児にかけよる。
「い、今の、風か?」
「そ、そんなわけ……きゃっ!?」
また音。今度は室内。何かここ恐い。
「りゅ、りゅうじ……」
「へ、部屋に戻るか」
竜児の苦肉の策は、寝てしまおうということのようだ。
でも、こんなんじゃ恐くて寝られない。
「りゅ、竜児、その、恐くないの?」
「いや、そりゃビビッてるさ。でも確かめる勇気もないしな。ならいっそ……うおっ!?」
再びドン!!と一際大きく音が鳴る。
同時に私は強く竜児の腕を抱いた。
「っておい!?痛い痛い痛い!!」
「あ、ご、ゴメ……きゃっ!?」
「いだだだだだだだ!!!」
緩めようとして、また驚きのあまり強く抱いてしまう。
「りゅ、りゅうじ、どうしよ?こんなんじゃ寝られないよ」
「し、仕方無い。朝まで一緒にいるか?」
!?朝まで……?そうだった!!私はそのつもりで……。
ぼっと顔に赤みが増す。
「う、うん……や、優しくして……」
初めてだし。
「おぅ?……まぁ確かにこんなこと初めてで恐いよな。大丈夫だ大河、頼りないが俺がついてる」
「竜児……」
ううん竜児、なんかすっごく頼もしいよ。


***


部屋に戻ってとりあえずベッドに座る。
ギシッ、ギシッ。
体重をかけるたびに軋むベッド。
だが二人で乗っても壊れるような気配はもちろん無い。
「あ、あの、りゅうじ」
大河が、顔を赤くしてもじもじしながらシーツを弄繰り回す。
「そ、その、ね?え、え、えっと……」
なんだ?一体どうした?恐すぎて情緒不安定になったのか?
今は夜中だし、出来るなら大声とかは避けたい。
みんなが寝てるなら迷惑になるし。
「大河、落ち着け。大丈夫だから」
ここは男の俺がしっかりしなければ。
俺は大河に肩から毛布をかぶせてやる。
「今日は一日付き合ってやるから」
俺の言葉に、ぼっと大河の顔の赤みが増した。
どうしたんだろう?そんなに恐いのだろうか。
「りゅ、りゅうじ!!」
ギシッ。
軋む音と、大河。
大河は、毛布を俺にもかけようとして失敗し、どうやったらそうなるのか、俺を押し倒して覆いかぶさるような形になっていた。
「大河……?」
「はうあ……」
大河は顔全体から湯気でも上がってるかのようにフワフワし始め、パタリと胸に倒れこむ。
「大河?」
「……ひゃうっ!?」
一瞬悦に入ったような顔のあと、すぐに自分のした事に気付いて起き上がり、ベッドの上で正座をする。
何故に正座なのだ。
「そ、その、今のは違うの、フライングというかなんというか……」
よくわからないことをまだ大河は言っている。
よほど恐いのだろう。
「大丈夫、大丈夫だから、落ち着け、な?」
俺は再び大河に肩から毛布をかけて、隣にすわり、毛布の半分を俺の背に回した。
恐らくさっきはこうしたかったのだろう。
「あ……ん」
納得したように、大河はそれ以上言葉を紡ぐ事をやめ、俺の肩に体重を預けてきた。
「あったかい……」
大河はそれだけ言うと、やがて何も話さなくなる。
「……大河?」
気付けば、
「すぅ……すぅ……」
寝息を立てていた。
俺の肩を枕代わりに眠るなんて、よほど眠かったのだろうか。
「た、いが……」
さらっと素手で髪を梳く。
サラサラの髪が指をサラリと通り抜けていく。
同時にいい香りが鼻腔をくすぐり、俺の中を大河で一杯にする。
身も……心も。
「大河……」
俺は自分が眠るまで、小さく大河と呼び続けていた。


***


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