突然だが、人間の集中力って奴は限界があるらしい。
人にもよるが、実際に集中できるのは一時間から二時間程度。
それ以上は能率が落ちていく、という話だ。
だから学校の授業も一時間事に休憩時間を入れるのだろう。
それは、自分で成る程と納得できるものだったし、人間の構造上集中し続けることが不可能というのは『逆に』ありがたいことだ。
だが、それでも自分の好きな物、例えばゲーム等は長時間やってしまうということがよくある。
気付けば何時間も経っていた、というような具合に。
似たような経験は誰にでもあると思う。
いわゆる無我の境地とでも言う奴だろうか。
まぁ恐らくは脳内麻薬の一種だろうとは思う。
そこまで考えて、自身の手を止め、ちらり、と背後に視線を向ける。
そこには卓袱台に頬杖ついてだるそうにテレビを見ている女性がいた。
名を逢坂大河。
長い茶髪のふんわりとした髪と、高校二年生というにはやや小さい体躯が特徴の女の子だ。
……別にこいつは彼女というワケではない。
ただクラスメートで、お隣さんなだけだ。
視線を戻して、目の前のカレー鍋の具合を測る。
ぐるぐるまわすお玉を止め、
「良し、いいかな」
そう呟いて俺は炊飯器に近寄った。
炊きあがったご飯をかき混ぜる。
と、先程の呟きを聞いていたのか、大河は俺の傍まで来て……皿を一枚差し出した。
「ん」
短い一言。
ようするに早く自分の分だけでもくれ、ということだろう。
まぁ別にいいんだけど。
「おぅ」
皿を受け取ってご飯を盛り、先程の鍋の中身、カレーをかけていく。
「一杯、いーっぱいかけなさい」
よっぽど腹が空いているのか、大河は大盛りを所望する。
まぁいつものことではあるが。
「はいはい」
俺は子供あやすようになげやりな返事をしつつ、盛りつけた皿を大河に手渡した。
と、受け取る大河の指が俺の指に若干触れる。
「んじゃ、先に食べてるから」
大河は気にしたふうもなく先に卓袱台へとついた。
もうすでにカレーしか見えていないようだ。
俺はあいつと触れた指先を一瞬見つめ、すぐにカレーを盛って座る。
大河は夢中になってスプーンを動かす。
「はむっ、むぐむぐ」
スプーンには零れんばかりのカレーのかかったご飯が掬われ、大河はそれをはむっと口の中へ運ぶ。
それはもう、美味しそうに。
食べる度に後ろの髪があっちへこっちへ揺れるがきにしたふうもない。
そのうち、
「おかわりっ!!」
大河は再び皿を突き出してくる。
「はいよ」
俺はその皿を受け取ってもう一度ご飯とカレーを盛りつける。
「カレーばっかじゃなくてサラダも食えよ」
そう言ってから皿を渡してやる。
「わーってるわよ、毎度毎度うるさい男ね」
いつもの聞いてるんだか聞いてないんだかわからないような返事をして、大河は再びカレーを口へと運び出す。
そんな大河を見つつ、俺も食事を再開した。


***


食事を終えて洗い物を片づけ、ぼーっとテレビを見ている大河にお茶を出してやる。
「ほれ」
「ん」
大河はまた短い返事をしてお茶を啜り出す。
白く細い指が湯飲みを掴んで、薄い、柔らかそうなピンク色の唇にお茶が吸い込まれていく。
とん、と湯飲みを置くと、まただるそうにテレビへと視線を戻す。
今やっているのが特に見たい番組、というわけではなく、つまらいなから見ている、といったところだ。
ぼーっとテレビに視線を向け続ける大河の横顔は端正で、ふっくらとしている。
時折テレビから放たれる光が多彩にその頬を染め上げる。
首筋は細く、肩も小柄で、触れば壊れてしまうのではないかと思うほど脆そうだ。
「……つまんないわね」
ふっと顔がこちらに向けられる。
「お、おぅ、そうだな。バラエティも見飽きたしな」
「あぁ〜あ、暇。特に見たい番組も無いし……っとそうだ。お風呂はいっちゃおうっと。竜児、お風呂借りるわよ」
「お前、いいかげん自分の部屋の風呂も使ったらどうだ?」
「掃除が面倒くさい」
「掃除ならしてやってるだろ」
「うるさいわね、お風呂はたまにじゃない」
「お前なぁ、流石に女子の風呂場にそうそう何度も足を踏み入れられるかってんだ」
「だから私がこっちのせせこましいお風呂に入ってやるって言ってんのよ。私は掃除しなくて助かるしアンタも私のバスルームに入らなくて済む。ほら、良いことづくめじゃない」
「あぁもうわかったよ、その代わりちゃんと着てた服は持って帰れよ」
「はいはい」
大河はそう言って泰子の部屋へと入っていく。
いつの間にか大河は、泰子の部屋のタンスの引き出しのいくつかを大河用スペースとして使用しており、そこから着替えを用意する為だ。
「あ、竜児」
「んー?」
着替え片手の大河は、さも当然よねとばかりに、お願いする。
「風呂上がりにジュース飲みたい。すっごく冷えた奴」
「……とっとと入ってこい」
俺は呆れながら大河がバスルームに入るのを見送った。
「………………」
大河の姿が見えなくなってから、はぁと一息吐く。
疲れた、というのとはちょっと違う。
違うが、やっと楽になれるというか、考えなくてもいいと言うか。
──────それが寂しいというかなんというか。
「っ!?何考えてんだ、俺」
寂しいなんて、おかしいじゃないか。
すぐそこに大河はいるし、何より、今までは泰子が仕事に行ったらずっと一人だった。
そうだそうだと思い直し、ふと卓袱台を見ればそこには頬杖ついた大河がいて……消えた。
「………………」
足りない。
そこは、さっき居たはずの人物がいないだけで圧倒的に違和感を覚える。
一瞬幻覚を見るほどに、それが見慣れた景色なのだ。
ぼーっとしながらもテレビを見て、時折笑いながらこちらを向く大河。
タリナイ。
「……ちょっと風呂に入っているだけじゃねぇか」
ぶんぶんと頭を振る。
全く、最近の自分はどうしたと言うのだ。
ずっと大河に付きっきりだった反動か、ちょっと大河視界からいなくなるだけでこのザマだ。
さっきだってカレー作りながら俺は一体何回くらい大河の方に振り返ったんだ?
「あぁもぅやめだやめ。考えてられるか、そんなこと」
こうやって大河の事ばっか考えてるからこんなわけのわからん事になるんだ。
雑誌でも読もう。
俺は海外のインテリア雑誌を取り出して読み耽る。
いくら高いインテリアでも見るだけならタダだからいい。
一瞬、チラリとバスルームの方に視線をやってしまった。
「まだ、上がんないか」
そう呟いて再び雑誌を眺める。
そんなことを数分おきに繰り返していた。


***


「ふぅ……竜児、上がったわよ」
頭にタオルを乗せ、珍しくワンピース型ではない正面ボタン式のパジャマ姿で大河は出てきた。
「おぅ」
短い返事と共に何処か安堵しながら立ち上がる。
大河の言う「上がったわよ」とは文面通りの意味ではない。
上がったから、入る前に言っておいたジュースを出せ、という意味だ。
「その前に髪をちゃんとかわかせ、風邪引くぞ」
ぽかぽかと湯気を漂わせ、丈が若干短いのかそういう仕様なのか、下は膝下数cmからは無く、裸足だ。
それだけでいつもと少し違って見える。
「え〜、めんどい。いいから先にジュース飲む」
はぁ、と溜息一つ。
何度言ってもこいつは自分というものを大事にしようとしない。
いや、自分の綺麗さを理解していないと言うべきか。
諦めて冷蔵庫からグラスとオレンジジュースを取り出す。
若干冷えたグラスにジュースを注ぎ、氷を二三個放り込む。
「ったく、ほらよ」
大河は卓袱台の前で座って、本当にまだ少し濡れた髪をほっといてジュースを飲み出す。
俺はやれやれと零しながらも視線は大河の髪から離れない。
このままでは湯冷めしてしまう可能性もある。
「ったく、しょうがねぇな」
俺はわざとらしいぼやきのような言葉の後、洗面所にドライヤーを取りに行った。


***


「ほら、あんま動くな」
「うるさいわね、へたくそ」
ドライヤーをかけて、バスタオルで髪の毛を丁寧に拭いていく。
大河の髪はシルクのような手触りで、触れてもすぐに指の隙間からサラリと零れる。
大河はされるがまま、とはいかなくテレビを見ながら時に頭を揺らすのでやりにくいことこの上ない。
「だいたいアンタ細かすぎなのよ、少しくらい気にしたもんじゃないでしょうに」
それはお前が気にしなさすぎだ、と言いたいがぐっとこらえる。
どうせまた口論になって終わりだ。
それなら、このまま黙って髪を拭き続けたほうが……む?
「大河、お前枝毛があるじゃねぇか」
「えっ?嘘っ?」
これには少し焦ったように驚く大河。
「ほら見ろ、そんな態度ばっかりとってるからせっかくの髪が傷むんだ」
「黙れ、そして腐れ。んなことよりブラシ!!」
ちょうだい、とばかりに俺に振り返って手を差し出し、
「あ、やっぱいいや」
と俺に再び後頭部を向ける。
「アンタどうせ暇でしょ?」
……はぁ。
「お前なぁ……」
文句を言いつつもドライヤーと一緒に用意しておいたブラシをこの髪に梳かしこむ。
時折、少しひっかかりを覚える物のほとんどはサラリと梳くことができる。
触れるたびにくすぐったくなるような大河の髪はブラシと俺の掌を流れるように踊り、すぐに枝毛などはなくなっていく。
もともと枝毛などそう多くは無いのだから当たり前だが、何となくもったいなくて少し、サラサラになった髪をブラッシングし続けた。


「なぁ、お前手入れはもうちょっと気を使った方がいいんじゃねぇのか?」
黙っているのもなんなので話しかけてみる。
「うるさい、テレビ聞こえない」
さっきまでたいして真面目に、いや今もそんな真面目に見てるようには見えないテレビを見つめたまま、大河はただひたすらに後頭部だけを俺に預ける。
何度も何度も髪を梳いては梳き残しが無いかチェックして、大河の髪をブラッシングすること数分。
「ふわぁ、アンタ本当に下手ね」
そう難癖つけながら眠そうに大河は立ち上がった。
そろそろ帰るのだろう。
「お前、人にやってもらっておいてそれは無いだろう」
「良いのよアンタ相手には。そもそもアンタ相手にしか言う事無いし」
俺の諫めるような言葉も大河は受け流す。
いつからだろうか。
そんな仕草も随分とやわらかくなったものだ、と感じるようになったのは。
「じゃ、もう遅くなってきたし今日は帰るわ」
「おぅ、着替え忘れず持って帰れよ」
「わ、わかってるわよ!!」
焦ったように脱衣所に服を取りに行き、じゃね、と一言残して高須家を出て行く。
数分して隣のマンションの窓に明かりが灯った。
「良し、ちゃんと帰ったな」
それを確認してから俺もようやく風呂に向かう。


***


風呂場に残っている微かな匂いが鼻腔をくすぐる。
この匂いは決して高須家からは生まれないものだ。
それを嗅いで、どこか気恥ずかしくなる。
「だから俺は何を考えてんだ……」
ぶんぶんと頭を振り、さっと浴室に入る。
良く体を洗って、湯船に浸かり「あ……」気付いた。
掌を正面に持ってくる。
「……洗っちまった」
じっと掌……指先を見つめる。
別に、洗ったら問題があるわけではない。
むしろ綺麗好きとしては文句の言いようもないはずだ。
それでも、MOTTAINAIと思ってしまった。
「別に、洗い物した時に十分手は洗われてるじゃねぇか」
自分にそう言い聞かせるが、心は納得していない。
『ん』
耳に残っている皿を突き出す大河の声。
触れた……指先。
細くて、しなやかで、白くて。
壊れ物のように儚くて。
「……帰ったら帰ったで、これかよ」
ばしゃばしゃと湯船で顔を洗う。
どうも、最近の生活リズムがおかしかった。


***


ごろんと寝返りをうつ。
風呂から上がって日課を終え、就寝。
いつもの生活サイクルをいつも通り終えようとして、自分はまだ眠れない事に気付く。
それも今日だけでは無い。
風呂場でもそうだったが、このところこんな夜は増えている。
いや、こうなるのが生活サイクルになりつつある。
眠れないのは、頭が働くから。
働くのは、今日一日の出来事。
頭の中の日記を整理しないと、最近は眠れない。
今朝も大河起こしに行って、着替えを急がせ、大河に朝食を食べて貰う。
登校中は転ばないように注意を向け、万一転んでも助けられる位置をキープ。
昼食は向かい合うように机を並べて、昨日の残り物ばかりと怒られる。
夕方一緒に買い物に行って、タイムセールを制する。
大河が買い物に来るようになってからタイムセールの勝率が跳ね上がった。
オレンジジュースもそこでゲット。
夕食用にカレーを作成。
つまらなさそうにして大河はテレビを見ていた。
大河はその後もテレビを見て……横顔が、綺麗だった。
大河は風呂に入って……薄いピンクの唇がジュースを飲み干していた。
大河は着替えて……素足、美しかった。
大河は髪が濡れてて……色っぽかった
大河の髪を乾かして……手触りが凄く気持ちよくて、サラサラだった。
大河の髪を梳かして……一歩一本がシルクみたいで、触るのがMOTTAINAIくらいだった。
大河の……。
ごろん。
また寝返りを打つ。
……今日は一体いくつ『大河以外のこと』を考えただろうと思い……思い返すのを止めた。
そんなものはほとんど無いからからだ。
いつからか、いや、だんだんと俺は大河を見ている時間が増えていた。
最初は意識して増やしていた。
だから、少しでも長い間大河のことを見ていると、疲れたりもした。
一時間見ていたら、少し休憩が必要だった。
ところが、最近は慣れたのか休憩を挟む回数がみるみる減ってきた。
つまるところ、さっきの回想は今日は一体何回休憩を入れただろう、という疑問だ。
けど、そんなことを考えるのは不毛だと最近気付いた。
だって、大河のことを見ているのが苦じゃないんだから。
もう疲れる云々とかじゃなくて、それが普通だから。
そうしていないと、いられないから。
だから、明日はとりあえず弁当の内容は朝食とは変えよう。
そう、いつもと同じような結論+αが出る頃には、眠りに落ちていた。


***


「おっはよーたかっちゃん!!」
クラスメイトの春田が元気に挨拶してくる。
「おはよう」
今朝もアホの代名詞こと春田は元気が良い。
そのまま春田は大河の方へ挨拶に……。
「高須君、おはよ♪」
春田のそれを見届けることなく次の登校者が挨拶をしてきた。
「おぅ、おはよう川嶋」
「ね?ね?高須君?今日の亜美ちゃんどお?今日は少し念入りに髪をブラッシングしてきたんだけど?」
「へ?あ、あぁ良いんじゃねぇか?」
「なーにそれ?反応うっすーい!!高須君髪は長髪で枝毛は無い方がいいって言ってたじゃなーい」
「そりゃそうだろう。枝毛が出来るってことは髪が傷んでるってことだ。無い方がいいさ」
「なんかつまんないなー。折角パジャマも新しいの買ったけど流石に学校に着てくるワケにもいかないしー」
「パジャマ?」
「ん?もしかして見たい?そうねぇ、ウチに泊まりに来る?」
「いや、なんでそういう話しになる?そもそもパジャマって?」
「高須君に前聞いたじゃない?ファション雑誌の中で着るパジャマ候補が決まらないからどれがいいと思う?って」
「あ、ああ、あれか。何かいろいろあった奴だよな。ワンピースとかキャラクターものとか」
「そっ、でも高須君あんまり面白いの選ばなかったよねー、下はデニム風に短い奴で上は普通のボタン式の奴だもん。ワンピースのふりふりとかネコミミとか一杯あったのに」
「面白いのって……パジャマだぞ?」
そう川嶋に返しながら大河を見やると、春田が大河に何かの話題をふっているようだった。
……それにしても、何か大河に近づきすぎじゃないか、春田。
「ちょっとぉ?高須君聞いてるぅ?」
「あ、悪い」
「んもう、だから亜美ちゃんは……」
川嶋に諫められ、川嶋の話を聞こうとするが、意識はずっと大河と春田の方を向いていた。


***


「なぁ、今朝は春田と何話してたんだ?」
昼休みに、それとなく気になった今朝のことを尋ねてみた。
「くっだらないことよ」
大河は不機嫌そうに弁当箱の中身を食べていく。
今日は残り物ではなく、わざわざ一から作ってみたのだが。
「くっだらないこと?」
どうも不機嫌っぽいので聞き返してみる。
「何?いちいちアンタに説明しなきゃいけないワケ?」
「いや、そんなことねぇけどよ」
ただ、気になった。
朝は普通だったのに春田と話し終わった後急に不機嫌になった気がしたから。
それに、なんか春田が妙に大河に馴れ馴れしかったきがして……いやいつものことか?
「……ふん、ごちそうさま」
俺が悩み出したのをよそに大河はさっさと弁当を食べ終える。
「……何かお前、怒ってねぇ?」
「別に」
つーんと大河はあさっての方を向いてしまう。
何だ?朝の春田との話で何か嫌な事でもあったのか?
そう思っている矢先、大河は立ち上がった。
「ん?どっか行くのか?」
「私は三歳児のガキじゃないんだからアンタにいちいち言う義理も無いと思うけど?」
「おぅ、まぁそうだな」
「……ちっ」
何か舌打ちされた。もしかして不機嫌の原因は俺なのか?
「すぐ戻るわ」
大河は俺の顔も見ずにさっさと教室を出て行く。と、同時に、
「あ、ねぇねぇ高須君♪」
川嶋がまた雑誌らしきものを持ってきた。


***


「今度は帽子なんだけどぉ」
そう言って、目録らしきものを並べる。
そこにはたくさんの帽子の写真が写っていた。
最近川嶋は良く俺にこういった物を持ってきて意見を聞く。
「またファッション誌でお前が着るなら付けるなら、か?俺こういうセンスないぞ?大河の方がよっぽどセンスがある」
「私は高須君の好みが知りたいの♪」
「お前また人をからかって……」
「……からかってはいないんだけどな」
「ん?何か言ったか?」
「別に?それよりほら、どれがいい?」
ほらほら、と急かすように川嶋は俺に帽子の写真を見せてくる。
よくわからないが、まぁそんなに聞きたいならちゃんと真面目に考えよう。
「う〜ん」
写真を眺めて、最近はいろんな物があるんだなぁと感心する。
俺なんて帽子は機能重視でしか見ないから、こういったカジュアル系な帽子はどれが良いとかハッキリ言ってまったくわからない。
だが、その中で一つ、自分も良く知りなおかつ気に入る部類の帽子があった。
これ、いいんじゃねぇか?
「どれどれ?う〜ん麦わら帽子かぁ……最近また人気出てきてはいるけどねぇ……う〜んぶっちゃけ私に似合うかなぁ」
川嶋は少し考え出す。
「だから言ったろ?俺そういうセンス無いんだって。でもまぁ、こういうおっきい麦わら帽子かぶってると、元気で良い感じだよな」
「成る程、元気か……それが高須君の好……のね……あーだから実……ちゃん……かぁ」
「川嶋?」
「うん?なんでもないなんでもない。それじゃあね高須君」
ひらひらと手を振って川嶋は席を離れていく。
ぶつぶつと何か言っていたが、なんだったのだろう?
そう考えてるうちに、大河が戻って来た。
「おぅ、おかえり」
「………………」
だが、大河は無言で髪の毛を指でくるくると巻いている。
「大河?」
「な、何?」
「あ、いや、おかえりって言っただけなんだが」
「……そう」
明らかに落胆したように大河は顎を机に貼り付ける。
ふぁさっとふっくらした髪が舞った。
と、すぐに顔を上げ、後ろ髪をふぁさっと肩から背中に流す。
「?……何やってんだ?」
「何って……はぁ」
大河が何故か溜息を吐く。
今日は珍しく1回目だと記憶している。
「もういい」
大河は何処か諦めたように投げやりな返答をし、
「おい、何だよ一体」
「うっさい。しっしっ」
犬でも追い払うように俺を手で払いのけようとする。
カラン。
同時に、ポケットから何かを落としながら。
「っ!?」
大河が落としたのは千本櫛だった。
大河は慌ててそれを拾い、鞄にしまう。
「どうした?隠すほどのもんか、それ?」
何だか今日の大河は挙動がおかしい。
「……はぁ」
本日2回目の溜息まで吐かれるし。


***


「はぁ……」
13回目の溜息。
放課後になって帰宅の傍ら買い物に向かう途中。
転ばぬよう大河の細く伸びた足を気にしながら隣を歩き、心の中のカウントを足しておく。
頭の隅では今日は何を作って大河を喜ばせよう、あ、カレーが残ってるから……と晩飯の算段をしつつ溜息の内容を考えていた。
が、考えても当然のことながらわからない。
別段大河の機嫌を損ねるような真似をした覚えは無いし、またする予定も無い。
でもやっぱり大河の顔は不機嫌で、いつもより2割増しほど頬は膨らみ、肩は気を張ったようにピリピリしてる。
「何よ」
「おぅ、いやなんでもない」
さっきから何度もチラチラ見ていたのがバレたのか、大河はふん!とそっぽを向く。
顎をしゃくるようにして動くそのさまは、顎のシャープさをより一層際立たせ、可愛さに拍車をかける。
って待て。
可愛さって何だ?
俺は今何を考えた?
と、危ない!!
さっと大河の背中に手を回す。
「きゃっ!?……って、アレ?」
その瞬間、俺は素早く脇から大河を支え転ばぬように持ち上げ……って軽っ!?
コイツあんだけ食ってこれってどういった体してんだほんと。
「気をつけろよ」
ほいっと大河を下ろす。
「あ……うん。アリガト」
大河は少し照れたようにまた顔を背けた。
─────トクン。
はっ!?何だ今のトクンって?
いかんいかん。
今日は大河よりも俺の方がおかしいらしい。
だいたい、最近トクンなんて……昨日もあったか。
いや待てよ?一昨日もあったような……いやいや一昨昨日もあった気がしてきた……。
「竜児、ちょっとデパート寄って……竜児?」
呼ばれてはっとなり、正面を向く。
途端、少し強い風が吹いて大河の髪がなびき「きゃっ?」大河はスカートと髪を押さえながら方目を閉じる。
そんな横顔が視界に─────トクン。
……今日は『まだ』二回目、カウント確認。
そうだよ、よく考えたら一昨日は三回あったじゃないか……まだ一回の余裕がある。
ああいや、今考えることはそんなことじゃない。
「デパート?何か買うものがあるのか?」
「ん、見たいものがちょっとね。アンタは食料品買いに行ってていいわよ。今日はデパートでも大丈夫なんでしょ?」
「おぅ、問題ねぇけど……何買うんだ?」
「ん、秘密」
そう言われてから、大河の視線は俺から外され正面になる。
隣を歩き、ちらりと横顔を覗き見て見れば頬は先程ほど膨らんでおらず、いつもの桜色の柔らかそうな優しさと少し薄い唇が木漏れ日に反射して─────トクン。
……まだ、まだ三回目だ、同点ゴールだ。
俺は、ぶんぶんと顔を振り大河に続く。
と、もう一度だけ柔らかそうな唇を盗み見て、気付く。
そういや大河溜息吐かなくなったな。
まぁ溜息吐くと幸せが逃げるって言うし、良い事だ。
ウンウンと勝手に納得しているうちに、いつものデパートに着いていた。


***


キッチンに立ちながら背後の大河に話しかける。
「なぁ、何買ったんだ?」
「何でもいいでしょ」
大河はそう言って今日買った紙袋の中身を教えてくれない。
大河とはデパート内で一旦別れ、合流した時にはすでに大河は買い物を終えていた。
合流場所で柱に寄りかかって紙袋を手前に持ち、ぼーっと待っていた大河の姿は本日五回目をカウントしてしまった。
え?四回目?……聞くな。
ともかく、最近カウント数が上昇しすぎている。
だからどうなんだと言われれば、別になんでもないんだが。
まぁいい。
頭を切り替えて晩飯に集中する。
カレーはそのまま、買って来た野菜でサラダ、あとハンバーグを焼いて今日はハンバーグカレーに。
そうだ、半熟の目玉焼きも乗せるか。
うぅむ、タンパク質ばっかりだな。
メインはカレーとハンバーグだし、あ、カレー用に買ったジャガイモ残ってるから揚げてフライドポテトにでもするか。
ちょっと油っぽいメニューだから、ほうれん草のおひたしも用意、と。
「まぁこんなところか」
頭で考えつつ、既に手は動かしている。
中々の夕食になりそうだ。
と、やっぱりつい背後を振り返って見る。
これはもう、なんていうか習性になってしまっ……!?
俺は慌ててキッチンに向き直る。
今大河は、櫛で髪を梳かしていた。
いや、それ自体は不思議じゃない……いや不思議だけど。
なんでそんなことやってるかも大いに、大いに気になるけど、そんなことより。
「俺、考えてみれば今まで大河がああやって髪を梳いてるとこ見たこと無かったんだな」
それは予想以上の衝撃だった。
なんというか、色っぽい。
足を崩して、そろえてくの字に曲げ、コンパクトミラーを見ながら丹念に髪を梳いている。
サラリサラリと綺麗に櫛が通っていくその様は、ここが2DKのオンボロアパートだという事実さえ忘れさせそうだった。
こうなんか、『ズギュン!!』って胸が言った錯覚さえある。
「……っし!!枝毛無し!!」
しばらくして、そんな声が聞こえる。
そうか、枝毛取ってたのか。
そういや昨晩は女の子らしく枝毛に少しショック受けてたっけ。
ウンウンと自己完結し、料理に取り掛かる。
……取り掛かるが、時間が普段の倍かかったのは内緒だ。


***


食事を終えて、二人でテレビを見て。
今日も多彩なテレビの光に反射する大河の頬をちらちら見る。
ほんと不思議意だ。
大河の頬は、それだけで多彩な美貌を発揮する。
一瞬赤くなっただけで綺麗だと思わせ、青い光が当たって綺麗だと思わせ、白っぽい光が当たって綺麗だと思わせる。
ようは綺麗なんだ。
でも、それは同じ綺麗ではなく、それぞれ別の特徴を持つ綺麗さ。
ずっとその横顔を見ていたいとさえ思う。
「さて」
「おぅ!?」
「何慌ててんのよ?私お風呂入ってくる」
大河は立ち上がる。
「あ、そうそう」
「何だよ、またジュースか?」
「うん、それもだけど、ドライヤーと櫛を用意しといて。んじゃ」
「へ……?」
大河は気にした風もなく泰子の部屋に入り、着替えを持って風呂場へと向かう。
「ドライヤーと櫛?今日は自分でやるつもりなのか……?」
それはいいことだ。
いいことなんだが……寂しい。
アイツが風呂に行って寂しい。
上がった後に、あいつの髪を触れなくて寂しい。
「……何考えてんだ俺!?」
一瞬浮かんだ変な想像を振り払いテレビに無理矢理集中する。
番組は……。
『男の子の恋愛教室〜♪わーいどんどんぱふぱふ〜♪』
……チャンネル、変えようかな。
リモコンを手にとって……。
『最近、身近な女の子を見て「トクン」なんて来てるそこの君!!いないかなぁ?』
ドキッ!!
『それはもぅ、ザ・恋の始まりだよぉ!!THE KOI!!』
こ、恋……?
俺はゴクンと唾を飲み込み、リモコンを卓袱台に置いて正座する。
『もう一日に3回はトクンなんてきちゃった君、それはもぅKOIを通り越して愛!!AI!!』
あ、愛……?
『君は彼女の魅力に惹かれ、ずっと傍にいたい、ずっと見ていたい、ほっとけない!!なんておもってるんじゃな〜い?』
白衣を着たお姉さんが、まさに的確に今の俺の状態を言い当てる。
テレビ越しでだけど。
『ズギュン!!なんて来ちゃった日にゃ、もうその娘の事しか見えてないよチミ〜♪』
「え……」
ズギュン……?今日、来たよな……?
そ、そうなのか……?俺は櫛枝じゃ……ないのか?
『こういう子って前に好きだと思ってた娘が自分は好きなはずなんだ〜とか勘違いしてる子が多いんだよね〜』
なんか、あつらえたように俺に当てはまるな。
もう、なんか恐いくらいに。
それからもそのお姉さんの講義は続く。
『もしその娘が貴方のために何かしてくれたら、ソレは脈アリ!!貴方にしか見せない姿とか……』
その後もいろいろ高説し、やっと終わった頃にはもう良い時間帯になりつつ……『ガラッ』……ガラッ?
「あれ?ドライヤーは?」
頭にバスタオルをかけ、昨日と同じ正面ボタン式パジャマを着た大河が戻って来た。



「お、おぅすまねぇ」
突然の事に驚き、しかし時間を見て決しておかしく無い事に気づく。
ドギマギしながらも急いでドライヤーを準備し、
「ほらよ」
と手渡
「ほらよ、じゃないわよ」
「へ?」
せなかった。
「アンタ髪弄るの下手だから練習台になってあげるわ。ほら、やりなさい」
すっと近くにすわり背中を向け……ああ、いい香りだ。
……いい香りだ、じゃねぇ!!
「い、いや、でもな大河」
「何よ?あんた昨日やってたじゃない」
「お、おぅ?」
有無を言わせない強い口調に俺は腹を括るしかないのか。
俺は昨日と同じようにドライヤーをかけ、バスタオルで髪をふき、櫛でブラッシングをする。
間が持たないので、何か話題をっ……!!
「……そういや、今日は珍しく二日連続で同じパジャマだな。それ気に入ってるのか?」
こいつは毎日のように寝巻きを変える。
しかも殆どがフリフリワンピース型。
でも、そういや最近そういうの見なくなってきたな。
「……別にそういうわけじゃない」
「じゃあたまたまか?」
思ったままのことを口にする。
「……アンタって集中力ないわよね」
「む……」
そんなことはない、こと大河に関してはそんなことはない、と言いたいがそれでは変態さんいらっしゃいだ。
ここはぐっと我慢する。
「……全然、気付かないし」
「ん?なんか言ったか?」
「なんでも」
大河はそれきり黙って頭を預けてくる。
髪触りが気持ちいい。
鼻腔をくすぐる臭いが心地いい。
少し汗編んだような素足が美しい。
はっとなる。
危なく夢の世界の住人になるところだった。
このサラサラの髪を触っているのにそれはMOTTAINAI!!
「ん……?」
そう言えば、昨日と違って今日は全く枝毛が無い。
晩飯の前にも梳いてたな、そういや。
「大河、今日は髪がいつにも増してサラサラだな」
「!!そうでしょ、ね、ね、そうでしょ!?」
大河は何が嬉しかったのか、俺のその言葉に過剰に反応する。
「おぅ、触り心地もいいし、綺麗だ」
「ん、ふふ」
自慢げに笑って、大河は力を抜き始める。
大河はそのまま、すとんと俺の胸に後頭部をうずめた。
「大河?」
「ふふん、私だって枝毛の手入れくらいできるんだから」
「おう、そうだな。飯食う前にも梳いてたもんなぁ」
「っ!?見てたの!?」
「?ああ、たまたま目に入った」
「……帰る」
「え?」
「今日はもう帰る。オヤスミ」
大河は急に不機嫌になったように立ち上がり、高須家を後にする。
「大河……?」
残された俺は、櫛を片手に意味不明な面持ちと、若干の寂寥感を抱いた。


***


部屋に戻った私は、ばふっとベッドに飛び込む。
「……鈍感犬」
そう呟いてみるが、返事は当然無い。
「……はぁ、バカみたい」
着ているパジャを脱いで、自分のクローゼットからいつものワンピースパジャマを取り出す。
「……着替えよう」
私はパジャマを着替え、ふと髪を弄る。
サラサラだ。
自分で言うのもなんだけど、きっと今は枝毛なんて無い。
「……バカ」
また呟いて視線をずらす。
そこには紙袋。
今日デパートで竜児に見つからないように買ったものだ。
それを見つめて、悩む。
これを使うべきか使わざるべきか。
使ったところでたいした効果は得られないと思う。
でも、折角買ったものだし。
それに……。
ぶんぶんと首を振って考え直す。
「なんで私が……」
ばふっと布団を被る。
「竜児の……鈍感野郎」
もう一度だけ呟いてから、目を閉じた。


***


寝返りをうつ。
今日も横になりながら一日を思い返す。
飯食ってる大河。
歩いてる大河。
風が吹いたときの大河。
柱で待ってる大河。
髪を梳かしてる大河。
風呂上がりの大河。
大河大河大河。
『それはもぅ、ザ・恋の始まりだよぉ!!THE KOI!!』
「恋、か……」
今日見たテレビのせいか、変な思考ばかりが浮かぶ。
『愛』
ぼっと顔が熱くなる。
「何考えてんだ俺……」
恥ずかしくなって顔を布団で覆う。
「………………」
静けさが、寂しさとなって自身を襲う。
「大河……」
知らないうちに、呟いていた。


***


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