「ねえ、竜児。あれ、何?」
そろそろ夏服にもお別れかという秋らしさが増して来た2学期のある日のこと。
学校帰りに寄ったスーパーの店内で、大河が指差す先にある山積みの和菓子。
レジまであと少しという所で大河は足を止める。
「ああ、そういえば今夜は月見か」
竜児は大河が興味を示した物を見てそう答えた。
「だから、それと私の疑問と何の関係があるの?」
「見りゃ、分かるだろ」
「分かんないから聞いてるんでしょ」
やや口を尖らせて大河はご不興の様子。
それと言うのも今夜の献立を巡って、さっき竜児とやり合って負けているのだ。


鮮魚コーナーにうやうやしく鎮座していたのは秋の味覚を代表するさんまだった。
目ざとく見つけた大河は夕食をこれにしようと竜児に迫ったのだったが、見事に返り討ちにあう。
竜児とて「おう、さんまか」と一瞬、乗り気を見せたものの、値札を見て即座に却下した。
「高けえ」
値札には一尾五百円とある。
「え〜、いいじゃないそれくらい」
「駄目だ。すぐに安くなる・・・まだ早い」
家庭の主婦を自認する竜児の経済感覚はするどい。
「食べたいなあ・・・さんま・・・おいしいだろうな・・・きっと・・・脂が乗ってて」
指をくわえるようにトレーにパックされたさんまをじっと見つめる大河。
心底、食べたそうにする大河の様子に竜児もぐらりと心が揺れる。
・・・たまには贅沢しても。
そう思いかけて竜児は頭を振る。
・・・贅沢なんてとんでもない。
「大河、ほら行くぞ」
「・・・さんま」
保冷ケースの前で未練がましくさんまを手に取る大河。
「あきらめろ、来週あたり買ってやるから」
「ケチ・・・さんまさんごめんね。竜児がケチだから食べてあげられない」
当て付ける様に言う大河に竜児も言い返す。
「聞き分けのない子はよその家の子になりなさい」
それはまるでお菓子が欲しくて駄々をこねる幼児に対する母親の様な口調。
「やだやだ、さんまが欲しい。買ってくれなきゃ・・・泣くから」
したばたと手を動かし、大河はさんまに執着する。
まるで子供のような大河の動き、本当にさんまを買わないと泣くぞと言わんばかり。
もちろん、本気で大河がそう言っている訳ではない。
その証拠に大河の瞳は「ふふん」と言わんばかりに竜児を挑発していた。
「ぐっ」
竜児は詰まった。
ここで大河に嘘泣きでも始められた日にはいたいけな少女をいじめる悪漢にしか見てもらえないだろう。
悪名を被ってでも己の信念を貫き通すか、ここは一時引くべきか、竜児は迷った。
見れば大河は両手を目の辺りに持って行き、嘘泣きの体勢に移りつつある。
既に勝利を確信したのか大河の口元に浮かぶ笑み。
・・・知能犯め。
大河の術中にはまり、絶対絶命に追い込まれた竜児にその時、思いがけない援軍が現れた。
「あのお姉ちゃん、駄々こねてる・・・ボクはお菓子欲しがらないから、いい子でしょ、ママ」
見れば幼稚園くらいの男の子が竜児たちの隣から大河を見て母親に話し掛けていた。
傍から見ても分かるくらい、大河の頭に上って来る血の気。
泣きまね用に目の辺りへ持って来ていた両手で顔を覆い隠すと大河は逃げるようにその場から足早に立ち去る。
慌てて竜児も大河を追い駆けたのだが、内心で大笑いしていた。



「まったく、さっきは大恥かいたじゃない」
「大河が悪乗りするからだろ」
「ちっ・・・もう少しだったのに」
さんまが遠のいたと大河は悔しがる。
「わかったよ、さんまは無しだけど、団子買って帰ろうぜ」
「団子?」
「ああ、だから月見だよ。月見団子」
竜児は大河が指差した和菓子の山から一パック、手に取ると大河に見せた。
秋の名月には月に団子を備えてお月見をする風習があると竜児に説明されて、大河はへえと興味を覚えたようだった。
「ねえ、竜児。今夜、お月見しよ」
さっそく、そう提案してきた。
「月見か・・・出来ねえ」
残念そうに竜児が言う。
「え〜!なんで!!」
「見えねえんだよ、月が。俺の家からは」
「何で?」
理解できないと言う大河の表情に竜児は動かしがたい事実を突きつける。
「あのなあ・・・俺ん家の南側にあるのは何だ?」
「へ?・・・あ、そっか、私のマンション」
「だろ、月見をしたくても無理なんだよ」
あきらめろと言わんばかりの竜児に大河は解決策を提示する。
「私の家ですれば・・・お月見」
「大河の家で?」
「そう」
コペルニクス的発想と言えば大げさだが、食事は高須家でするものという固定観念が竜児の中で出来上がってしまっていた。
ポンと右手で左手の手のひらを叩く竜児。
「そうだよな、大河の家からなら見えるし・・・ついでだから今日は大河の家で晩飯、作るか」
「うん、いいよ」
そうと決まればと大河は竜児が持つ買い物かごの中へ月見団子を何パックも放り入れた。



「今夜はふたりだな」
夕食材料以下が詰まったエコバッグをぶらぶらさせながら竜児が言う。
「え?やっちゃんも来てくれるんでしょ?」
「泰子か・・・さっきの月見で思い出したんだが、なんでもお月見フェアとかを店でやるみたいなんだ。その準備で飯を食わないで出勤すんだとよ」
「お月見フェア?・・・なにすんの、やっちゃん?」
「さあ・・・何でも昔、流行ったアニメのヒロインの扮装をするとかしないとか・・・月に代わってとか・・・お仕置きとか、何かセリフみたいなことをぶつぶつ言っていた気がするが」
「何、それ?」
「さあな・・・俺にもわからん」
竜児も大河も疑問符をたくさん散りばめながら、それぞれ頭の中で泰子の扮装を思い描いてみた。
「・・・見てみたいような」
と大河。
「・・・見てみたくないような」
と竜児。
思い浮かべた内容をお互い、胸に仕舞ったまま歩みを進める大河と竜児だった。



並んで歩く竜児と大河。
しかし、その足の向きは家の方向とは違っていた。
本格的な月見をするならすすきがいると言う竜児の言葉に、じゃあ取りに行こうと大河が賛成し、ふたりは買い物帰りに寄り道をして河川敷に向かっているところなのだ。
堤防道路へ入り、大河の足取りは軽そうだった。
「お、つきみ。お、つきみ。ふん、ふん」
と、妙な節回しで口ずさみ、軽くスキップしながら竜児の先を進む。
大河の調子外れな鼻歌。
それを聞きながら竜児は突っ込みたいのを我慢する。
せっかく大河がご機嫌なんだから、そのままで居てくれた方が平和でいい。
竜児とて荒ぶる手乗りタイガーと化した大河が好きだと言うような倒錯した趣味を持っている訳ではないのだから。
その一方で竜児は不安を覚える。
妙に調子のいい時の大河は何かをしでかすことが多いからだ。
竜児の少し前にある大河の後姿はそんな竜児の不安も知る由も無く、軽快に進んで行く。

「ねえ、竜児・・・きゃん」
案の定、大河は後ろを振り向いた途端、見事にしりもちを付きながら後ろ向きに転んだ。
「ったあ〜」
くてっと言う感じでアスファルトに背中を付け、寝転んだ姿勢のまま大河は頭を起こしながら顔をしかめた。
「ったく、大丈夫かよ?」
慌てて大河に駆け寄る竜児・・・だったが、大河の直前で急停止する。
「何してんの?早く、助け起しなさいよ」
大河は手を竜児の方へ伸ばし、引き起こすことを要求した。
「ああ・・・でもなあ」
歯切れ悪く、竜児は大河から視線を逸らし、横を向く。
「役に立たない犬ねえ、もう」
大河がいつもの調子で竜児を罵倒するも、その竜児は無言で大河の足元の方を指差した。
「・・・? 何よ?何かあるの?」
よいしょと大河は上半身を起こし、自分の下半身へ目を向け、その目を大きく見開く。



「げっ!!」
慌てて手を伸ばし体裁を整える。
しかし、取り繕ったところで手遅れ・・・たった今あったことはもう取り消せない。
転んだ拍子に大河が着ている制服のスカートはいい具合にめくれていたのだ。
跳ね起きた大河は竜児を指差し、弾劾する。
「この、エロ犬!超ドエロ犬!!なんてことするのよ!!!」
しかしこれはひどい濡れ衣だった。
「俺は何もしてねえだろう。大河が勝手に転んだんだし」
「ええ、そうよ、転んだのは私よ。でも見たでしょ!」
「何をだ?」
「しらばっくれないで・・・だから、私の・・・その、なによ」
顔を熟したトマトみたいにして大河は主張する。
「安心しろ・・・見えちゃいねえ」
そう答えた竜児だが、実際のところはチラリと見てしまっていたのだ。
竜児とて顔を赤らめたくなる様な場面ではあるのだが、大河の手前、あくまでも平静を装っていた。
「ホント?」
「ああ、本当だ」
竜児にそこまで言われてしぶしぶという感じで大河は納得する。
「ああ、もう不愉快」
それでも面白くないのかぶつぶつ言う大河。
「そんなに気になるなら、もう少しスカートの丈を長くしろよ・・・短いんじゃないか?」
「・・・そんなとこ見てたんだ、竜児。・・・スケベ」
軽蔑のオーラを出しながら竜児を見る大河。
「何だと。俺はあくまで一般的なことを言ったまでで、大河のがどうとか言うんじゃない」
「・・・どうだか」
はん・・・と言う感じで大河の竜児を見る視線は冷たい。
「・・・だいたい、この石がいけないのよ」
大河を転ばせた路面の石の塊り。
大河はつま先を使って器用に石を河川敷の草むらへ向かって蹴り飛ばした。
きれいな放物線を描いて落下する石。
落下地点で草を押し退けるガサという音と一緒に聞こえた音に竜児と大河は顔を見合わせる。
「今、キャンとか聞こえなかったか?」
「キャウじゃない?」
そう話し合うふたりの真下の草むらがザワザワと動き出す。
「竜児・・・あれ、何?」
「あんまり、想像したくねえな」




・・・ウ、ウ、ウ、ウ。
嫌な予感は当たるもの。
竜児は観念した。
堤防の真下の草むらから這い出してきたのは大きな犬だった。
真下から堤防上の竜児と大河を見上げて威嚇のうなり声を出す。
・・・今、石をぶつけたのはお前さん方かい?
あきらかにそう言っていた。
見れば野良歴八年、数々の修羅場を潜って来ましたと言う来歴がピッタリなお犬様。
時代劇で言うなら凄腕の浪人と言ったところで、決して正義の主人公に一撃で倒される雑魚には見えなかった。
「怒ってるね・・・あれ」
石をぶつけた張本人がノンキそうに言う。
「どうすんだよ。話して分かる相手じゃねえぞ」
「アンタ、犬でしょ。犬は犬同士、けりを付けて」
「無茶を言うな」
大河と竜児が責任のなすり合いをしている間に野良犬は堤防を上がり、竜児達との間合いを詰め切っていた。
もう走って逃げるには遅すぎる。
くそ・・・と竜児は思う。
どうやってこの場を切り抜けようかと考えながら、自然と体は動いて大河をかばう姿勢。
「ふん、アンタ、やる気?」
そんな竜児の気遣いも無用だとばかり、大河は前に出て犬をにらみ付ける。
「バカ、大河、下がってろ」
「平気よ、こんな犬っころ」
「ラケットぶつけた犬とは違うぞ」
そう、あれは飼い犬・・・いつぞや大河がやりあったシベリアンハスキー犬。
飼い犬は人を噛んだりしない・・・だけど、野良犬は・・・・・・。




大河は飛び掛かって来る犬に反応が遅れた。
棒立ちに見える大河の様子に竜児はためらわなかった。
「大河!!」
大河を横へ突き飛ばし、犬と大河の間に割って入る。
牙をむき出しにした野良犬の口が竜児に襲い掛かる。
とっさに竜児は持っていたエコバッグを盾に犬を防ぐも、勢いのついた犬の力に路面へ押し倒される格好に追い込まれた。
噛み付こうとする犬にエコバッグを振り回し、防戦する竜児。
「逃げろ、大河。早く!!」
目の前の光景が信じられないと言った表情で大河は竜児を見る。
「うそ・・・やだ・・・りゅうじ・・・りゅいじぃ〜!!!」
大河はそう叫ぶと、草むらに転がっていた錆びた長い金属棒を掴んで、犬に殴りかかった。
「私の・・・私の・・・竜児に・・・私の竜児に何するんじゃあ〜!!」
大河が放った一撃は痛烈なダメージを犬に与えたらしく、野良犬は一声鳴くと戦意喪失の態で堤防下へ駆け戻って行った。
その後に残ったのは地面に横たわったままの竜児の姿。
はあはあと荒い息を吐き出しながら、大河は握っていた金属棒をコロンと地面へ落とす。
「・・・竜児・・・死んじゃいやあ!」
駆け寄る大河の前に、竜児はむくりと体を起す。
「・・・殺すなよ」
「生きてる!竜児」
「当たり前だ・・・はあ、でも、やばかったぜ」
助かったと安堵感を込めて竜児は息を吐き出す。
「良かった・・・っう」
地面に座る竜児の前で大河はひざをつき、半べそ状態。
くしゃくしゃになった顔を竜児に向け、言葉が続かない大河。
「ひでえ顔だな」
竜児はそっと大河の頬へ手を添える。
「ごめんね・・・竜児」
竜児の手から伝わる温もりが、凍った大河の言語中枢を溶かす。
「何で大河が謝るんだよ?」
「私が・・・私がつまんない事で怒らなきゃ・・・こんなことにならなかった」
「蹴っ飛ばした石のことか?」
うん・・・と大河はうなずく。
「過ぎたことさ。それより大河が無事で何よりだ・・・怪我しなかったか?」
「私?私は大丈夫・・・って竜児、怪我してる」
「ああ、これか、これは防げなかったな」
竜児のワイシャツの胸に残る切り裂き。
犬の前足の爪が残した傷跡・・・うっすらとシャツに血がにじみ、犬の与えた傷跡の深さを物語っていた。
傷跡を見ているうちに大河は更に込み上げてきたのか、本格的な泣き顔になる。
「・・・りゅ・・・じ・・・りゅ・・・じ」
何度も何度も竜児の名前を呼び、こぼれた涙が竜児のシャツに染みをこしらえた。
竜児はそんな大河の頭に手を添えて、大河が泣き止むのを待った。




不思議そうにこちらを見る自転車が通り過ぎたのを潮に竜児は大河を促がした。
「そろそろ、落ち着いたか?」
「・・・うん」
大河の目尻に残る涙を竜児はポケットから取り出したハンカチで拭いてやった。
「・・・ありがと、竜児。・・・でも、次はもっときれいなハンカチで拭いて」
泣き顔で目茶苦茶になった表情で大河は竜児のされるがままになっていたが、ひと言、デリカシーを求めた。
「あのな・・・」
竜児は苦笑いするしかなかった。
エコバッグから散らばった夕食材料を竜児はついたほこりを払いながら拾い集め、「帰るか」と大河を見る。
「・・・うん」
しょんぼりと言う感じで大河は情けなさそうな顔を竜児に見せる。
「落ち込むことねえだろ。大河のおかげで助かったんだし、もっと威張っていいんだぞ」
「後先、考えないで動いちゃうって・・・悪い癖だと思ってるんだけど・・・これからはもう少しよく考えて動くわ」
「そんなの大河らしくないだろ・・・突っ走りたい時はそうしていいんだぞ。大抵のことはフォローしてやるから」
「・・・いつまでも竜児に甘えてられない・・・少しは私も成長しないと」
「ま、できる範囲で頑張ってくれよ」
「うん、がんばる・・・で、がんばり始めに・・・はい」
大河はしゃがむと竜児に背中を見せた。
「何の真似だ?」
「背負ってってあげる・・・竜児怪我してるし・・・遠慮しないでいいよ」
「あのな・・・気持ちだけで十分だ」
「え〜、どうして?」
「無理だろ」
「やってみないとわかんない」
さあ、乗れと大河は譲らない。
竜児は頭を指先でかきながら、大河の背中に乗った自分を想像した。
・・・大河がつぶれるか、バランスを失って後ろへひっくり返るか・・・どっちかな?
竜児の心配を余所に、あくまでも実施を主張する大河。
しかたなく竜児は別の提案をする。
「じゃあ、肩を貸せ」
「え、それでいいの?」
「ああ、それで十分だ」
「ん、じゃあ、掴まって」
・・・ま、大河がそれで気に済むならいいか。
竜児は大河の首筋から手を回し右肩をそっと掴んだ。
その直後、大河の長い髪から立ち上る柔らかな香りが竜児を包む。
ドキっとした竜児は思わず、大河から手を放す。
そんな竜児の気持ちに気づくこともなく、大河は意図も無造作に竜児の手を掴み直すと、再び肩へ持っていった。
「ほら、ちゃんと掴まって」
「お、おう」
・・・大河にしてみれば肩を貸してるつもりなんだろうけど・・・。
竜児は思う。
・・・ほとんど支えになっていない・・・この身長差じゃ・・・な。
「大丈夫?竜児」
「ああ、大丈夫だ」
そのまま歩き始めたふたり。
でも、その姿は男女が仲良く肩を組んでいるようにしか見えないと、大河も竜児もまったく気がついていなかった。


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