ただいまと外出から帰って来た泰子を交えて高須家で始まるいつもの晩餐。
居間のちゃぶ台の上で大きな土鍋がぐつぐつと音を立ててたくさんの湯気を産み出している。
「あち・・・はふはふ」
頬を大きく膨らませながら、ハムスターよろしく頬張っているのはもちろん大河だった。
「大河、やけどすんなよ」
竜児の注意など何処吹く風で、大河は鍋から小鉢に移したいい色に出汁の染み込んだお肉を次々にお腹へ収めて行く。
「ほら、肉ばっかりじゃなくて、野菜も食え」
竜児は大皿に用意しておいた追加用の白菜を鍋に補充しながら、しんなりといい食べ頃になったえのきや野菜を大河の小鉢へ送り込む。
「野菜は後回し、今はお肉の時間よ」
そう言いながらも大河は竜児が小鉢へ入れてくれた野菜に箸をつけ、平らげる。
「竜児、おかわり」
空になった茶碗を竜児へ突き出す大河。
「おう」
竜児は大河から茶碗を受け取り、しゃもじで山盛りにご飯をよそってやる。
炊き立てのご飯で満室状態だった高須家の炊飯器に空き室が目立ち始め、竜児が操るしゃもじが炊飯釜の底をこすった。
「ほらよ、何杯目だ?」
茶碗を大河へ渡してやりながら、竜児は感嘆するように言う。
「まだ、四杯目よ」
まだ、まだいけると大河の食の進み具合は絶好調だった。
「ほどほどにしとけよ、また、いつかみたいにお腹が痛くなってもしらねえからな」
大丈夫、もうあんなドジはしないからと大河は涼しい顔。
以前、食べ過ぎで救急病院へ駆け込んでひどい目に大河はあっているのだ。
だから、今日はおやつも間食もしてないし、このくらいぜんぜん平気と咀嚼の合い間にしゃべりまくる。

「飲み込んでから、話せ」
口中にご飯を含みながら大河が話すせいで、大河の口元からご飯粒がひと粒、竜児へ向かって飛び出す。
「たく、もったいない」
竜児は大河から飛んで来て自分の服の袖口に付いたご飯粒を指先でつまむと、そのまま口に含んだ。
「あれ?」
土鍋の中を掻き回していた大河が首を傾げる。
「どうした?」
「竜児、もうお肉無い」
「ねえって・・・あんだけあったんだぞ」
「だって、ほら」
大河は土鍋の中のお肉指定席付近を箸で引っ掻き回す。
大河の箸に掛かったのはしらたきだけだった。
「おまえ、ひとりでどんだけ肉食ってるんだ」
呆れる様な竜児の声。
「いいじゃない・・・好きなんだし」
無いんだもうお肉と・・・名残惜しそうに大河は未練たらしく土鍋の中を探し回る。
そして見つけたわずかな肉の欠片を大事そうに口へ運ぶ大河。
「はい、大河ちゃん」
そんな大河を見ていた泰子が自分用に取って置いた肉を大河へ差し出す。
「や、やっちゃん、いいよ・・・それはやっちゃんが食べて」
受け取れないと大河は遠慮する。
「好きなんでしょ、お肉」
遠慮しなくていいよ、と泰子に微笑まれ、大河ははにかむ様に肉を受け取った。
「ありがと、やっちゃん」
「それでこそ大河ちゃんだよ」
受け取ってもらえて泰子も嬉しそうになる。
その一連の動作を見ていた竜児はやれやれと言う感じで席を立ち、冷蔵庫から追加の肉を持って来る。
「何よ、まだあるんじゃない、けちけちしないで早く出しなさいよ」
泰子へ向けていた笑顔とはうって変わり、竜児にはこのドケチ犬と言わんばかりの顔を見せる大河。
「言っとくがな、これは明日の弁当用だ」
「じゃあ、食べちゃったら・・・」
「当然、弁当は肉抜きだ」
竜児にそう言われ大河は思案顔になる。
眉間にしわを寄せ、重大な決断を下すかの如くおもむろに口を開く。
「耐え難きを耐え・・・ここは引くわ。竜児!」
「おう」
「仕舞って、お肉」
苦渋の決断だと両手をぐっと握り締め、大河は耐え忍ぶ有様を見せる。
「いいのか?」
竜児はこれ見よがしに大河の前にタッパーに入った肉をちらつかせる。
目線がチラチラとお肉を追い駆け、大河は思わず身を乗り出す。
「ほらよ」
竜児は苦笑しつつ、肉を一切れ土鍋に入れた。
「いいの?」
「ああ、弁当の肉が少し減るけどな」
その辺は上手く工夫してやるさと竜児は請け負う。
「・・・やっぱり、おいしい」
ほくほく顔で最後の一切れとなったお肉をおいしそうに頬張る大河を見ながら、竜児は何とも言えない幸福感を味わっていた。

「そうだ、竜ちゃん」
流しで食器を洗い終え、手を拭きながら居間へ戻って来た竜児へ向かって泰子が言い出す。
「何だよ?」
「修理だけど、明後日になるって」
「マジかよ」
困った様な声を出す竜児。
「修理って?」
食後の満腹感に浸り、例の如く寝転がっていた大河が起き上がり、口を挟む。
「ああ、家の風呂釜が壊れちまってさ」
風呂に入れないと竜児は言う。
「じゃあ、私の家に来たら」
我が家のお風呂を開放しましょうと大河は言う。
「いいのかよ?」
「うん、全然平気」
「・・・だってさ、泰子。どうする?」
「う〜ん。大河ちゃんのお家の借りてもいいんだけど・・・そうだ」
あごに指先をあて考えていた泰子はいいアイディアがひらめいたと竜児と大河に告げた。

・・・銭湯、行かない?




古きよき時代の建物と言う言葉がピッタリ来る銭湯。
「しかし、よく残ってたよな」
竜児は建物を見上げ感心する。
「これが、銭湯?」
大河は見慣れぬ建物に興味津々だった。
「そっか銭湯、初めてだっけか?」
「うん」
うなづく大河に当たり前かと竜児は思う。
普段があれだからあんまり気にもしないが、出るところへ出ればいいとこのお嬢様だもんな、大河は・・・。
「竜児は来たことあるの?」
「おう、子供の頃にな」

当然の事ながら竜児は男湯の暖簾を潜り、大河と泰子は女湯の暖簾を潜る。
「あんまり、はしゃいで泰子に迷惑掛けんなよ」
別れ際に竜児は注意を怠らない。
何せ、近所の銭湯へ行くだけだと言うのに一泊旅行かと言う位、大荷物を持って来た大河。
ついさっき、一緒に行くかと誘われて大河はふたつ返事をすると、脱兎の如く自宅のマンションに戻り、支度を整えて帰って来たのだ。
「着替えとタオルがあればいいんだよ・・・なんなんだこの荷物は?」
お風呂に浮かべるひよこのおもちゃでも入ってるんじゃないだろうなと言った竜児は大河に荷物が入ったバッグで叩かれたのだが、大河は上機嫌のままだった。
銭湯なんて初めて・・・と高いテンションのままやって来てしまったと言う次第なのだ。

「大丈夫だって・・・きゃん!」
そう調子よく返事した大河は言い終えるや否や入り口の段差につまずいて派手にこける。
「失敗、失敗」
それでもすぐに立ち上がり、照れくさそうに番台の向こうに消える大河を見送り、ホントに大丈夫かよと竜児は心配になる。
さすがの竜児も女湯までは大河のドジをフォローしてやれないからだ。
なるようになるか・・・と竜児は諦めにも似た境地で脱衣所へ向かった。

中へ入り、大河はもの珍しく周囲を見渡す。
「ねえねえ、やっちゃん、どうするの?」
銭湯の作法を泰子に問う大河。
そんな大河に泰子は微笑むとあれこれ教え始めた。
「この籠に脱いだお洋服を入れるの・・・入れたらあの棚に置いて・・・」
うんうんと大河は頷く。
一通り説明を終えた泰子がブラウスのベルトに手を掛けるのを見て、大河も後に続く。
大河が長めの靴下を脱ぐのに手こずっている内に泰子はさっさと身軽な状態になっていた。
「・・・わっ!」
「どうしたの?大河ちゃん」
大河の視線は泰子の豊かなお胸に注がれていた。
「やん、大河ちゃんのエッチ」
大河の食い入るような視線に、ひょうきんに応じる泰子。
その昔、箸でつんつんしてしまったくらいあこがれる豊年満作な世界を目の当たりにして大河は目が点になる。
そして脱ぎ掛けていた自分のインナーのホックを外す手が止まる。
その下に隠れた飾りの無いありのままの自分があまりにもみすぼらしく感じてしまったからだ。
シュンとしてしまった大河の心の中を優しく包むように泰子が言う。
「きれいだと思うよ。大河ちゃんの」
思い掛けない泰子の言葉に大河のうつむいていた顔が持ち上がる。
「きれい?私のが?」
「そう・・・とっても・・・服を着ててもやっちゃんには何もかもお見通しだよ」
だから、安心してと付け加えられた泰子の声に後押しされて、大河は止めていた手を動かす。
小さな衣擦れの音と共に大河の女の子を象徴する小高い頂が外気にさらされる。
「・・・変じゃない?」
頬を薄いピンク色に染めながら大河が聞く。
「全然・・・思ってた以上にきれい・・・自信持っていいからね」
力強く言う泰子に大河は勇気付けられる。
「でも、ちっちゃい・・・」
自分の手のひらで覆い隠せてしまえそうなカップサイズ。
大河は両手でそれぞれのふくらみを押さえる。
「やっぱり・・・小さいよ」
泰子にきれいと言われて気を良くしたものの、大きさの不足をどうしても大河は感じてしまう。
「そうね・・・今はまだだけど・・・大河ちゃんのこと、本当に大事にしてくれる男の子が現れたら、きっと愛情を込めて育ててくれると思うの」
「・・・愛情込めて?」
「そう」
今、自分が押さえているふたつのふくらみ・・・いつか、自分以外の手が触れる時が来る。
自分はどんな顔でその時を迎えるんだろうと大河は思う。
それは遠い未来なのか、近い将来なのか、そして・・・誰が・・・。
そこまで思い至った大河の脳裏に浮かぶ竜児の顔。
なんでここに竜児がと思ったものの、もう止まらなかった。
あれこれ想像した大河は首から上が熱したニクロム線みたいに赤くなる。

「竜ちゃんにはもったいないくらいかも」
このひと言に大河が激しく反応する。
「な、なんでそこに・・・り、り、竜児があ・・・」
たった今、想像してたとも言えず、あわあわとうろたえる大河。
「あらあ、大河ちゃん、竜ちゃんのこと嫌い?」
悪戯めいて聞く泰子。
「・・・少なくとも、キライじゃない」
少し間を置いて大河は真面目に答えた。
「だったらいいこと教えてあげる」
「いい事?」
「そう・・・竜ちゃんはね・・・あんまりお胸の大きな娘は好みじゃないんだあ」
「何でやっちゃんがそんなこと知ってるの?」
「何でかなあ」
不思議そうな顔をする大河に笑ってはぐらかす泰子。
その昔、竜児が隠し持っていたHな本をこっそり見ちゃったからとは竜児の名誉のため伏せる泰子だった。



一通り髪も体も洗い終えて、カランの前から立ち上がった大河を泰子が呼び止める。
「何?やっちゃん」
「髪、やってあげる」
長いままじゃ、湯船に入れないでしょと泰子は言い、大河を再度座らせると手早く髪留めを使い大河の髪をアップにした。
「ありがとう、やっちゃん」
「どう致しまして。でも、大河ちゃんの髪、きれいね」
ほとんど枝毛も無くてうらやましいと泰子は大河の髪を誉める。
「全然、そんな風に思ってなかった・・・今日、竜児に言われるまで」
ぼさぼさになった髪を竜児が直してくれたと大河は打ち明ける。
「竜ちゃん、なんて言ったの?」
「やっちゃんとおんなじこと言った・・・きれいだって」
ちょっとは女心が理解出来るようになって来たのかしらねえと、泰子は息子の精神的な成長を嬉しく思った。


浴槽へ飛び込もうとした大河の足が止まる。
「どしたの?」
泰子の問いに大河は疑問を口にする。
「お風呂がふたつあるんだけど・・・」
同じ大きさの浴槽が仕切りを隔てただけでふたつ並んでいる。
どう違うのかと大河は言う。
この質問に泰子は右が熱いお風呂で左がぬるいお風呂だと簡潔に答えた。
「ふ〜ん」
そう言われて大河は浴槽の隅っこに温度計があるのに気がついた。
右は43度左は39度を示している。
「やっちゃんはぬるい方がいいかな・・・大河ちゃんもそうする?」
・・・ん、そうすると大河は言い掛けて既に熱めの浴槽に肩までどっぷり浸かったお婆さんと目が合う。
その目は「若いのお、お主」と言っているように大河に見えた。
「熱いのにする」
意地っ張り大河の面目躍如なのだが、泰子が心配そうに言う。
「大丈夫?熱いわよ」
「平気だって」
家でも熱いのに入っていると経験者の余裕をかまし、慣れた素振りで浴槽へ足を入れる大河。
つま先から伝わる想像以上の熱気が大河のこめかみをひくつかせる。
「こ、これくらい・・・全然・・・ぬ、ぬるいくらい」
どうにか両足を浴槽に入れたものの、そこから先は恐る恐ると言った感じで大河は体を湯に沈めて行く。
体と湯が触れる面積が増えるたび、あまりの熱さに大河は身をよじる。
「へ、平気よ・・・何よ、これくらい・・・何だっての・・・えい!!」
最後は掛け声と共に一気に全身をお湯に浸した大河。
「ぬるいわ・・・ふへへ」
・・・と、勝ち誇った様子で余裕のあるところを見せて居られたのは1分に満たなかった。
「・・・釜茹での刑・・・げ、ん、か・・・い・・・」
額に大粒の汗を浮かべ、真っ赤な顔をしてすっかり茹で上がった大河が浴槽を飛び出す。
そしてそのまま片足を浴槽の縁に引っ掛け、見事おでこから床のタイルにダイビング。
「きゃあ、大河ちゃん!!」
泰子の悲鳴を耳に大河は己の浅はかさを呪った。
・・・つまんない意地は張るもんじゃないわ。


天井近くにある男湯と女湯の境の開口部から聞こえて来る喧騒に混じって聞き慣れた声の悲鳴。
湯船で寛いでいた竜児は頭に載せたタオルを取り落としそうになる。
・・・何、やってんだ、あいつら。
続いて聞こえる声に竜児は思わず湯船の中で立ち上がり、大声を出す。
「たいが〜!、大丈夫かあ!!」
・・・りゅうちゃああん・・・たいがちゃああんが・・・ころんだああ・・・
泰子の声が反響して聞こえる。
あれだけ言ったのに・・・ドジめ・・・・。
竜児は湯船の中で頭を抱えた。

「お待たせ」
銭湯の外へ出た大河は待ちくたびれた様子で立っていた竜児に声を掛ける。
「遅いぞ・・・いつまで入ってるんだよ」
「だって・・・仕方ないじゃない。いろいろあったんだから」
言い難そうに大河は竜児に言う。
「まったく・・・怪我とかしなかったよな」
仕方ないと言う口調に心配さをにじませて竜児は大河を気遣う。
「おでこ、ぶつけた」
「どれ、見せてみろ」
そう言うと竜児は大河の前髪をかき分けおでこを顕にする。
少し赤くなった痕が残る大河の白い額。
「もう少し気をつけろ、後に残ったらしゃれにならねえ」
ぶっきらぼうの中にも竜児の真剣な真情が読み取れて大河はただ「うん」とだけ答えた。
少し遅れて泰子が銭湯から出て来たのを確認すると竜児は帰宅を宣言する。


「持ってやるよ」
半分怪我人なんだからと竜児は大河のバッグを奪い取る。
触れた竜児の手の冷たさに大河ははっとする。
「竜児・・・」
「何だよ?」
「ずいぶん・・・待った?」
「ああ、15分くらいな」
「え〜、竜ちゃん、そんなに待ってたの?外じゃなくて中で待ってれば良かったのに」
「中で待ってたら、ふたりとも出て来たのが分からねえだろ」
泰子の声に竜児は大河と泰子を待たせたくなかったと言った。
「・・・ごめんね」
「何で大河が謝るんだ」
「私が・・・ドジしちゃったの・・・お湯に上せて倒れた私をやっちゃんが介抱してくれたから」
だから、出るのが遅くなったと大河は竜児に詫びた。
「いいんだ」
気にすることじゃないと竜児は空いた右手で大河の頭の天辺を軽くポンと叩いた。
「・・・竜児」
大河は竜児を見上げ、申し訳ない気持ちが込み上げて来るのを抑えられない。
「・・・手袋」
そう言うと大河は両手でたった今、頭を叩いた竜児の手を包み込む。
「ちょっとは暖かいでしょ?」
「ああ」
大河がしてくれた人肌の手袋は竜児にとって心地よさ満点だった。
「良かった」
そう微笑んだ大河だったが、ふとさっきのことを思い出し、竜児の手を包む指先に神経が集中してしまう。
・・・もしかしたら、この手が・・・私の・・・。
大河は顔が火照るのを止められなかった。
「・・・何だよ大河。上せたのまだ引いてないのか?」
赤ら顔の大河を見て竜児は言う。
「・・・違うわよ」
大河は竜児から顔を背けるようにして小声で聞こえないように付け加えた。
・・・上せてるのはお風呂じゃなくて、竜児、あんたによ・・・・・・。


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