「高須、呼んでるぞ」
クラスメートに呼ばれた竜児が声のした方へ振り向くと、教室の入り口にちょこんと立っている大河の姿。
竜児を認めるとお弁当が入った袋を軽く振り回しながら、早くしろと急き立てる。
「おう、今行く」
昼休みが始まったばかりの教室は授業の緊張から解放された緩い空気が漂う。
立ち上がった竜児は既に机を合わせ島を作ってお弁当を広げていた女子生徒から声を掛けられる。
「相変わらず、仲いいのね」
「まあな」
「前みたいにここで食べれば?わざわざ外へ行かなくてもいいんじゃない」
「そうしてもいいんだけどな・・・あいつがさ」
竜児が目線を流す先で仁王立ちしている大河。
あんな小柄な体の何処にこんな存在感を示せるのかと言うくらい目立っている。
「ああ、相当怒ってたもんね、逢坂さん」
くすくすと可笑しそうに笑う。
「りゅーじ」
何、のんびりしてるんだと催促の声をあげる大河に女子生徒は肩をすくめる。
「お待ちかねみたいよ」
「わりい」
ひと声掛けてから竜児は大河の側へ駆け寄る。
「遅い。昼休み終わっちゃうじゃない」
あんたは悠久の時を生きているのかと数十秒の遅刻をした竜児を責め立てる大河。
「怒るなよ」
「怒ってなんかないわ」
その台詞とは裏腹に口調に表れる大河の不快指数。
「何なの?・・・あの女?」
「クラスメートだろうが」
「ホント、面白くないクラスね・・・ああ、不愉快」
そのままぷいっと身を翻すと大河はスタスタと竜児より先に歩き出す。
「大河」
竜児は慌てて大河の背中を追い掛けた。


このところ屋上へ続く階段の踊り場が大河と竜児のランチ会場になっていた。
三年生になり、クラスも別れてしまった竜児と大河だが、お昼を一緒に取る習慣は二年生の頃から変わっていない。
あの頃は竜児が大河のために弁当を用意していたが、母親と暮らし始めた大河の昼食を心配してやる必要が竜児には無くなっていた。
それでも世話好き竜児のこと。
いつも小さなタッパーに大河用のおかずを用意するのを忘れない。
なにせ、新学期、間もない頃に竜児は大河に弁当を取られているのだ。

「たまには竜児の作ったの、食べたい」
じっと大河に己が作った弁当を見つめられ、竜児としては嬉しくないわけが無いのだが、そこは心を鬼にして断固拒否の姿勢を見せた。
「お袋さんに悪いだろ、ちゃんと自分のを食え」
「・・・うん」
しょぼんとする大河にたちまち鬼の竜児は仏の竜児に早変わりする。
「・・・食え」
弁当箱ごと大河へ差し出す。
「その代り、ちゃんとお袋さんの作ったのも食べるんだぞ」
「いいの?」
「ああ、男に二言はねえ」
「それじゃ、遠慮なく」
以前の大河ならいただきますとそのまま竜児の弁当をきれいに平らげただろう。
だが、目の前の大河はそんなことをしなかった。
自分のお弁当箱のふたへ竜児の弁当を半分移し変えると、隙間が空いた竜児の弁当箱へ自分の弁当の中身を半分入れた。
「これで万事解決」
そう言うと大河はおいしそうに竜児が作った物から箸を付け始めた。

その翌日からだ、ランチの席に大河用の小さなタッパーが付く様になったのは。


階段の段差をベンチの椅子代わりにして並んで座る竜児と大河。
不機嫌そうなのもお弁当箱を開く頃にはすっかり影を潜め、食欲の旺盛さを見せ付ける。
「あ、それちょうだい」
竜児のお弁当箱へ箸を伸ばし、おかずを掴み取ると大河はさっそく口元へ運ぶ。
「おま、ちゃんと用意してあるだろ」
「お弁当はお弁当箱から食べてこそおいしいのよ」
「なんだそりゃ」
「その代り、これあげる」
そう言うと大河は自分の弁当箱の中から厚焼きたまごを一切れ、箸でつまんで竜児の口元へ持って行く。
「はい、竜児」
「はいって・・・なあ」
ちょっとためらう竜児に大河はじれったさを隠さない。
「いいから食べて」
「お、おう」
遠慮がちに小さく開いた竜児の口中へ大河はたまご焼きを押し込む。

もぐもぐと咀嚼する竜児を大河は見つめる。
「ど、どう?」
ごっくんとたまご焼きが竜児ののどを通過した頃合を見はらかって大河が訊ねた。
「甘すぎるんじゃねえか・・・砂糖が多すぎだ・・・」
お袋さんへ言っておけと続けようとした竜児はどよんと落ち込む大河にうろたえる。
「ど、どうしたんだよ?」
「・・・いいの・・・まだまだだって・・・分かったから」
「まだまだって・・・?」
ここまで言い差して竜児はあっと声を上げそうになった。
大河の落ち込んだ原因に思い当たったからだ。
「なあ、大河・・・もしかして、今のたまご焼き・・・」
こくんとうなづく大河に竜児は自分の予想が当ったことを確信した。
そして同時にデリカシーが足らなかったことを痛感した。
・・・きっと、何回も焦がして、失敗したんだろうな。
キッチンで奮闘する大河を想像して竜児はちょっとだけ胸が熱くなった。

「もうひとつ、もらっていいか?」
「いいのよ、無理に食べないで」
「いや、急にたまご焼きが食べたくなったんだ、ぜひ、食わせてくれ」
大真面目に竜児は大河に頼んだ。
竜児を見つめた大河はややあってぷっと噴き出した。
「し、仕方ないわね・・・食べたいって竜児が言うなら」
これまた大河も崩した顔を再度引き締め、真面目くさってまた同じ様に竜児の口元へたまご焼きを運んだのだった。


2年C組でこんなことをやっているなら竜児と大河のバカップルめとクラスメートは生暖かく見守ったことだろう。
なにせ、手乗りタイガーとして恐れられていた逢坂大河とヤンキーとして一目置かれていた高須竜児のふたりが、最終的には駆け落ちもどきのことまでやって結ばれるのを逐一目撃して来た当事者なのだ。
多少のことで動揺などするはずが無い。
しかし、クラス替えがあり、必ずしもその辺りの事情を詳しく知らないクラスメートの中にあってふたりのラブラブ振りは行き過ぎた物として一部のクラスメートの反感を買ってしまったのも事実だった。
大橋高校と言う進学校の中でも特に竜児がいる国立理系選抜クラスは受験に対する意識が違う。
昼休みも惜しんで参考書を開いている手合いも無きにしも非ずで、そんな連中から他所でやれとクレームを付けられたのだ。

「ふうん・・・この程度で気が散るなんて・・・成ってないわね・・・そんな脳みそじゃ、おぼつかないんじゃない、志望校」
冷たさの権化の様に大河はクレーム相手に言い放った。
不遜ともいえる顎を上げた姿勢で低い位置から相手を見下す大河にしまったと言う顔をするクラスメート。
すっかり丸くなっていた大河に油断しきって本来、大河が持っている本質を忘れてしまっていたのだ。
まさに虎の尾を踏んだに等しい自殺行為だった。
おまけに学力と言う点から言っても大河は成績上位で、下手をすれば文句を言った奴の方が順位が下でもおかしくないくらい。
進退窮まったと立ち尽くすクラスメートの危機を救ったのはさっき竜児に話し掛けていた女子生徒だった。
立ち往生するクラスメートに言い過ぎたことを謝りなさいと言う一方で大河へも釘を刺して来た。
「逢坂さんも、もう少し控えめに・・・ね」
「・・・帰る!」
ズバリ言われて真っ赤な顔で立ち尽くした大河はそう叫ぶと食べ残したお弁当をそのままにして竜児のクラスを飛び出した。

「言い過ぎたかしら」
大河の去った扉を見ながらつぶやく女子生徒。
さっきの危機に突っ立ているだけで何も出来なかった竜児はこの問いに助かったと素直に頭を下げた。
「しかし、あの大河に良く言えたよな」
驚きを隠さない竜児。
「あら、逢坂さんて正当な理由もなくいきなり何かする人?」
「いや、それはねえな」
「でしょ」
何でそんなに詳しいんだとの竜児の疑問に、元C組にいた竜児のクラスメートの名前を挙げ、自分の親友だからねと種明かしをしてみせる女子生徒。
「逢坂さんが机投げて暴れたとか、クラス中で腫れ物にでも触るみたいにしてたとか・・・」
ネタはいろいろ知ってるわよと楽しそうに笑った。

その日以降、絶対に大河は竜児のクラスに足を踏み入れないようになった。
不愉快千万というわけだ。
「こっち来てよ」
自分のクラスへ来いと言う大河に竜児は首を振った。
「何?来るのが面倒なの?」
「いや、大河のところへ行ってもいいんだけどさ、川嶋がいるだろ」
「ああ、ばかちー。腐れ縁で同じクラスになったのよね」
冷やかされるのがどうもと言う竜児に大河は同意した。
「そうね。ばかちーごときに貴重な昼休みを邪魔されたくないわ」
そんなわけで階段の踊り場でランチタイムを過ごす事になったのだが、これはある意味、貴重な時間ともなっている。
以前は竜児の家に行けば嫌でもふたりだけの時間と言うのがあったのだ。
しかし、母親と暮らし始めた大河にとって、二年生の頃みたいな竜児とだけ一緒に居られる時間と言うのが取り難くなっている。
それがここに居れば誰も来ないので遠慮なくふたりだけの世界を構築出来るのだ。


「ごちそうさま。今日もおいしかった」
満足気にお弁当箱を片付ける大河。
「たまご焼き、また作ってくれるか?」
「がんばってみる・・・けど上手く行かなくても文句言わないでよ」
「言わねえ、大河が作ってくれるなら」
「そんな風に言われるとプレッシャー感じちゃうけど、少しくらいはお料理、上手になりたいし」
「あせんなくていいんだぜ」
「・・・いつか、やってみたいんだ」
「何を?」
「はい、お弁当って・・・竜児に手渡すの。全部、自分の手作りで・・・それで竜児がおいしそうに食べてくれるの。今の私じゃ全然、無理だけどね」
「一歩ずつ、やってけば夢じゃなくなるさ」
「本当?」
「ああ、今日のたまご焼きだって、味付けさえ間違ってなかったら結構いけたぜ」
「お世辞でも嬉しいよ、竜児」
「世辞じゃねえ、本気で言ってるんだ」
「ありがと・・・竜児」
言い終えると大河は竜児の肩へ自分の頭をそっと載せた。

「大河」
「なんか・・・ものすごく幸せな気分」
目を細くして夢見心地な表情を見せる大河。
「お腹、いっぱいになったからだろ」
「竜児」
ムードないなあと大河は竜児の背中を軽く叩いた。
「おう、わりいな・・・でも、俺もそんな気分だ」
「でしょ」
我が意を得たりと大河は笑う。
そして小さなあくびを漏らす。
「何だか、眠くなっちゃった・・・ねえ、竜児」
「何だ?」
「枕・・・借りるね」
そう言うと、大河はずるずると竜児に沿って体を倒し、膝の上へ上半身を預けた。
「大河、おい」
「予鈴、鳴ったら・・・起こして・・・・・・」
本当に眠かったらしく大河はそのまま寝息を立て始めた。

膝の上で子供のように丸まって眠る大河を竜児は見下ろす。
・・・夜中にミルクをあげる為、何度も起きるって言ってたっけ、大河は。
・・・赤ちゃんの世話も大変だよな。
優しい目で竜児は大河を眺める。
嫁にする・・・一生、添い遂げると誓った少女が全幅の信頼を寄せるみたいにして自分の手の中でまどろんでいる。
竜児は感慨深く、大河を見つめる。
わずか一年前だよな、傷ついた猫みたいに牙をむき出して襲って来たのは。
木刀を振り回した挙句、倒れた大河を思い出す竜児。
大河との二人三脚があれから、始まったんだと竜児は過去を振り返る。
足並みが乱れて、転んだりしたけど、こいつがパートーナーで良かったって思う。
そんなことを考えながら竜児は寝ている大河の柔らかな頬を指先で軽く突付いた。
寝息が少し乱れて、甘えたような声を大河は上げる。

予鈴が鳴っても起きない大河をいたわる様に竜児は本鈴寸前までそのままでいた。


「・・・ふぇ、朝?」
寝ぼけた声で起き上がった大河はそこに竜児が居るのを認め、不思議そうな表情を浮かべる。
「・・・竜児?ああ、朝ごはんの時間・・・早く起してくれればいいの・・・・・・に?」
パジャマを脱ごうとする動作を見せた大河は途中で手が止まる。
なんで自分が制服を着ているのかと怪訝そうに首を傾け、それから、竜児をまっすぐ見た。
その大河の顔が急速にカラーピンクで侵食されていくのを竜児は黙って見守る。
寝ぼけて以前に住んでいたマンションで竜児に起された気でいたのだ、大河は。
「目、覚めたか?」
「さ、覚めてるわよ、とっくに」
強がりを言う大河だが、顔の火照りはまだ消えていない。
そして、今の時間が本鈴ギリギリだと知り、怒り出す。
「なんで、もっと早く起さないのよ」
少し乱れた髪を気にするように大河は竜児へ洗面所へ寄る暇も無いと文句を言う。
「・・・いや、大河の・・・寝顔があんまりかわいくて」
ずっと見てたと竜児は言う。
「起すのもったいなくて・・・その、悪かった」
女の子の身だしなみまで気を遣ってやれなくてと竜児は大河へ謝る。
「寝顔って・・・ずっと?」
「ああ・・・」
大真面目にかわいいと言う竜児に大河の顔は真冬の電気ストーブさながらに赤みを増す。
やがて、顔の熱さに耐え切れなくなったかのように大河はうつむく。
「なんか知らないけど・・・ありがと」
ぼそぼそと話した大河だが竜児にはしっかり伝わった。




ホームルームが終わり、教室の外へ出た竜児を待っていたのは大河だった。
もちろん一緒に帰るためで、どちらか先に早く終わった方が相手の教室の前で待つと言うのがいつのまにか決まりになっていた。
しかしながら、竜児のクラスの担任はあれこれ細かく、いつもホームルームは長くなる。
必然的に竜児が大河を待つよりも大河が竜児を待つことの方が多くなっていた。

「わりい、待たせた」
廊下の壁に背中を預け、足首を交差させた姿勢で待っていた大河は教室の扉から待ち人が現れるとばね仕掛けの人形みたいに飛び寄った。
「竜児」
さすがに教室前で抱き付いたりはしないものの、大河は少しでも竜児の近くに居たいと言う気持ちを隠さなかった。
自分の肩と竜児の手が触れるほど近寄ると早く帰ろうと大河は笑みを浮かべて言う。
これから、下校の通学路で短いけど竜児とふたりだけの時間が待っていると思うと、大河の気持ちは少し弾んだ。
「お先に、高須君」
「おう、明日な」
竜児へ挨拶を交わし、大河を横目で見ながらにっこり笑いながら通り過ぎる女子生徒。
「何よ・・・あれ」
楽しい気持ちに水を差された大河は不愉快さを口元へにじませつぶやく。
「・・・ホント、不愉快なクラスね」


「すっかり桜も終っちまったな」
葉桜になった桜並木を眺めながら竜児はぼんやりと思う。
思い掛けなくも新学期初日に戻って来た大河と桜吹雪が舞う下を並んで登校した時の高揚感。
隣を歩く少女が幻じゃないことを確かめたくて、大河と何度もその名を呼び、そして大河から竜児と呼ばれるたび震えるような感情が込み上げて来たあの時。
あれからまだひと月も経っていない。
「・・・桜餅」
ふいに大河が低い声で言う。
「桜餅?」
「作ってくれるって竜児、言ったでしょ、まだ?」
「今度の日曜日に作ってやるよ」
桜の葉っぱを予め漬けておかないといけないんだと竜児は説明する。
「忘れたわけじゃないから安心しろ」
「良かった」
嬉しそうに言う大河に風情より食い気かと竜児は苦笑い。
「竜児」
「おう」
「作るの・・・手伝って、いい?」
遠慮がちに聞く大河に竜児は優しさで満たされた瞳を向ける。
知らない人が見たらにらんでいるだけにしか見えないかもしれないが、大河にはそれが分かる。
竜児の目線で了承と受け取った大河は猫がじゃれるみたいに竜児の左腕にしがみ付いた。


「ねえ、竜児」
通学路を並んで歩いていた大河は裏通りに入った辺りで突然立ち止るとおずおずと切り出した。
「何だよ?」
「・・・して」
主語を省いて言う大河だが、何を求めているのかは態度にありありと出ていた。
上目遣いに心持ちあごを少し持ち上げた姿勢で大河は竜児をじっと見ている。
いわゆるおねだりと言う奴だが、竜児は少しばかり面食らう。
いくら人影が無いとは言っても、こんな往来で大河がそんなことを求めたのは初めてだったからだ。
黙ったまま、なおも竜児を見つめる大河。
どうしたんだよと竜児は思うが大河の表情からは何も読み取れない。
ただひたすら、竜児から恋慕の情を引き出そうと深い泉のような瞳をわずかに動かす。
思わず引き込まれるように竜児は大河へ顔を寄せた。
そして少しばかりのためらいを捨てるとそのまま、ついばむような口付けを交わす。

竜児が離れると大河はふっと息を漏らす。
「急にどうしちまったんだよ?」
「そうしてもらいたい気分になったから・・・別にいいでしょ」
「悪くはねえけどよ、やっぱり時と場所ってもんが・・・」
「ふん、環境が整ってないと駄目だって言うの?竜児」
「そこまでは言ってない」
「じゃ、いいじゃない。文句言うこと無いでしょ」
「・・・ちょっと変だぞ、大河」
突っかかって来る大河に竜児は不審を覚える。
「変?ああ、そうかもね・・・変かもしれない、私」
「・・・あっさり認めるなよ」
竜児は苦笑するしかない。
「・・・竜児のことが離れないの、頭の中から・・・ずっと。もうね、一秒でも長く一緒に居たいってそんなことばかり考えちゃって、止まらない」
「大河」
「もしかしたら、離れ離れになっちゃったかもしれないって思えば、こうして竜児の声が聞けて、竜児に触れられる」
言い終えると大河は竜児の胸へ手を宛てた。
「ママが・・・こっちへ住もうって言い出してくれなかったら、こんな毎日は廻ってこなかった」
「その点は俺も感謝してる・・・あのまま、大河が戻って来なかったらどんなに寂しい三年生になってたか想像もつかねえ」
「だから、満足しなくちゃいけないのに・・・」
唇を噛みながら大河はうつむく。
「すぐ側に竜児がいない・・・たったそれだけのことが・・・辛い」
思えば四六時中、大河と過ごして来たと竜児も思う。
学校は同じクラス、下校すれば家は隣同士で、ほぼ毎食、一緒に食べてた。
ほとんど、ずっとって言ってもいいくらい視界の中に常にお互いを認めて来たんだよな。
それが今じゃ、一緒に居られる時間はかつての半分以下だ。
晴れて気持ちが通じあえたって言うのに、共に過ごせる時間が減っちまったからな。
「・・・今日だけはずっと一緒に居たかったのに」
それが出来ないと大河は言う。
「今日って?何かあったか?」
竜児がそう言うと大河は少しだけやるせないような顔を見せ、すぐ普段の大河へ戻った。
引っかかる物を覚えながら竜児は大河と歩き続ける。
とりとめの無い会話が途切れたところでいつもの別れ道が見えて来た。

今日はまっすぐ帰らないと行けない日だから、竜児の家に寄れないと言い残し、また明日と大河は名残惜しそうに交差点の角を曲がる。
夕陽に向かって消える様に走り去る大河を見送り、竜児も同じ様な寂しさを感じていた。



帰宅した泰子との夕食を済ませてしまうと、その後の手持ち無沙汰感を竜児は少し持て余す。
すべき家事をやり終えてしまうと、何もすることが無くなってしまったのだ。
以前なら、部屋の中でごろごろしている大河が居て、「プリン無いの?」だの「たいやき食べたくなった、買いに行こう」だの賑やかで、竜児としてもプライベートな時間を確保することの方が難しいくらいだった。
それが今じゃ・・・この有様だ。
いつも作り過ぎてしまう夕食・・・。
つい大河が居るような錯覚をしてしまう。
食べ切れなかったおかずにラップをしながら竜児は小さくため息をついた。

何か物足らなさというか張り合いの無さを感じながら竜児は机に向かう。
仕方ないから勉強でもと思うのだが、乗り気でないその作業はわずかな時間で集中力が途切れる。
開いたノートへ手にしていたシャーペンを転がし、竜児は椅子の上で背伸びをする。
気分転換にお茶でも飲もうと立ち上がった竜児だが、ふと立ち止まり窓のカーテンを僅かに開け、すき間を覗き込む。
外に広がる暗闇の中に浮かぶマンションが白っぽい外壁をさらし、一画に黒に沈んだ窓ガラスが虚しく見える。
既に明かりを漏らさなくなって数ヶ月が過ぎた。
目の前に居なくても、大河の息吹を感じて居られたあの頃が懐かしいぜと竜児は今さらながらに思った。


・・・んん。
眠っていた竜児は胸苦しさを感じ、睡眠が途切れる。
重石を乗せられたような、何とも言えない不快感と体の自由を束縛された感覚が金縛りを思わせる。
あまりオカルト的なことを信じない竜児だが、このただ事でない事態に恐る恐る目をうっすらと開く。
薄暗い部屋の中、竜児のぼやけた視界に髪の長い少女が自分を真上から見下ろしているのが飛び込む。
竜児の背中に走る戦慄。
思わず「ひい」と大声を出しそうになる竜児だが、その声が外へ漏れることは無かった。
なぜなら、竜児の口を思いっきりふさいだ手があったからだ。
「もご・・・もご」
息が出来ねえと竜児は生命の危機すら感じる。
「ちょ・・・大声出さないで・・・いい?」
驚愕の余り、大きく見開いた目をした竜児はコクコクと頭を振って同意の姿勢を見せる。
口から手が離れるや否や、竜児は絞殺未遂をかましてくれた相手を呼ぶ。
「た、大河〜」
「大声出さないでよ、やっちゃんが起きる」
「そうじゃねえだろ・・・殺す気か」
「力入れ過ぎた?手加減したつもりだったんだけど」
「まあ、いい。それより早くどいてくれ」
竜児は自分の掛け布団の上に馬乗りになっている大河へ早く降りるように求めた。
「ああ、ごめんね」
全然、悪びれた様子も無く大河は布団から降りた。



ようやく重石が取れた竜児は身を起こし、すぐ側に座る大河と相対する。
「どういうつもりだよ?」
こんな夜中にと竜児は時計を見る。
「2時じゃねえか」
いわゆる草木も眠る丑三つ時と言う時間。
「こんな時間に・・・まさか」
家で何かあったのかと竜児は大河を問い質す。
「何にも無い・・・急に竜児に会いたくなっただけ」
何も無いと知り、竜児は安堵を覚えるが突飛な行動を取る大河へ首をひねる。
「明日・・・ってもう今日か、学校で会えるだろ」
「そうじゃない・・・どうしてもこの時間に会いたかったの」
「まあ、会いたいっていうのは分からなくもねえ」
竜児自身、寝る前までそんな気持ちを持っていたのだ。
「だけど、こんな時間に押し掛けて来るなんて言うのは・・・」
竜児がそこまで言った時、大河が口を挟む。
「まだ、分かんない?」
「分かんないって?何がだ?」
大河は少しだけ悲しそうな目をすると、次の瞬間、掛け声もろとも竜児の脳天へ木刀を突きつけた。
思わず反射的に真剣白刃取りのポーズで木刀を掴んだ竜児は表情を変える。

「・・・そっか、あれから」
「そうよ、あれから」
ニンマリと大河も表情を変える。
「・・・一年か」
竜児がつぶやく。
「思い出した?竜児」
「ああ、思い出したぜ・・・確かに真夜中の2時」
「あれから始まったんだもん・・・竜児と私」
だから、その記念すべき日と時を竜児と一緒に過ごしたかったと大河は言う。
「非常識だって分かってる。本当は来ないつもりだったから・・・」
でも、と大河は続けた。
いつもミルクをあげるんで、その癖で夜中の1時過ぎに目が覚めてしまったこと。
目が覚めたら寝付けなくて、そしたら居ても経っても居られなくなって、家をこっそり抜け出してしまったこと。
合鍵で竜児の家に入り、寝ていた竜児をじっと見ていたこと。

「ずっとって?」
「ん、15分くらい」
竜児は大げさにため息をつく。
「それよりか、大丈夫なのか?家を開けて」
「大丈夫。今日、帰って来ない筈のママが帰って来たから」
面倒はママが見てると大河は言う。


「しかし、今日だってよく覚えてたよな、大河」
「嫌でも覚えてるわよ・・・生まれて初めてラブレター書いた次の日だから」
北村へラブレターを出そうと決心したのはいいけど、書き方が全然、思いつかなくて明け方までかかったと大河はあの時を思い出しながら語る。
「結局、何とか書いたんだけど、そのまま机で寝ちゃったの。で、目が覚めたら遅刻ギリギリで」
よく確かめないまま、封筒をのり付したと大河はいきさつを明かす。
「入れ忘れたなんて全然、思わなかった」
どうやって渡そうかとあれこれ考えたけど、直接渡す勇気が無くて、こっそりかばんへ入れようと放課後、教室に誰も居なくなるのを待って入れたと大河は言う。
「それが俺のかばんだったと言うわけだな」
「そうよ、まさか竜児のかばんだったなんて想像もしなかった」
すぐ取り戻そうとしたけど、竜児が馬鹿力で取り戻せなかったとも大河は付け加える。
「それで真夜中の襲撃か」
「・・・うん」
心なし申し訳無さそうにうつむく大河。
「竜児に怪我させないで・・・良かった・・・馬鹿なことしたと思ってる・・・ごめんなさい」
正座をして両手を膝に乗せ、ぎゅっと目を閉じて頭を下げる大河。
ずっとこのことをきちんと謝りたかったと大河は胸の内を披瀝する。
「もう終わったことさ・・・そのおかげで大河と仲良くなれたんだから、むしろ俺は感謝してるくらいだぞ」
「本当?」
「ああ」
「良かった・・・でもね、大河様の行動がナイスだったから上手く行ったのよ。感謝されて当然ね」
竜児の言葉に顔を上げ、破顔一笑する大河。
「調子に乗るな」
コツンと竜児は大河の頭を軽く叩いた。
叩かれても大河の笑顔はそのままだった。




肩の荷が下りたと言うわけではないが、大河はどこかほっとしたような表情を見せる。
そして急に困惑の表情を浮かべ、つぶやく。
「どうしよう・・・困った」
「どうしたんだよ?」
「あのね・・・怒らない?」
上目遣いに大河にそう言われて、竜児としても頷かざるを得ない。

「お腹、すいた」
「腹減った・・・だと・・・夕食、ちゃんと食べたのかよ?」
「うん・・・なんか安心したら急に空腹感が」
込み上げて来たと大河はお腹の辺りを切なそうに撫でる。
「お前と言う奴は・・・」
竜児は呆れながらも立ち上がる。
「大した物は出来ねえけどよ・・・チャーハンでいいよな?」
竜児の台詞に大河は何時にない笑顔を見せると思い切りうなづいた。


明かりも付けずに、出来るだけ物音を立てないように竜児は手早くチャーハンを作り上げた。
深夜にフライパンを操りながら、竜児は思い出に浸る。
いきなり襲って来た奴によくチャーハンなんか作る気になったよなと竜児は我ながら可笑しくなる。
でも、放り出す気にもならなかったし、ほっておけなかったんだよな。
ちょうどお腹すかして泣き声をあげる子猫を前にした心境だったのかも知れねえ・・・。
拾ってみたら猫じゃなくて虎だったけどな。

「ほらよ・・・悪いがスープは省略だ」
大河の前にお皿に盛られた出来立てチャーハンが突き出される。
大河は一年前とは違い、がっつくことも無く味わう様にチャーハンに手を付けた。
「懐かしい味・・・あれからいろいろ食べたけど、このチャーハンに勝る物は無かったわ」
「残り物で作ったやつが・・・か?」
「うん・・・あの時の味、どんなフルコース料理だって叶わない。とってもおいしかったから」
おいしいと言う気持ちが表れた大河はほころんだ顔をさらにくしゃくしゃにする。
「ほんと・・・おいしい・・・おいしいよ・・・りゅうじぃ・・・」
感極まると言うのか大河は笑顔のまま、涙をぽろぽろこぼす。
「あ、あれ、おかしいな・・・なんで泣いてるんだろ、私」
むせび泣く大河は時折、喉を詰まらせながらチャーハンを食べ続けた。
そんな大河へ声を掛けることもなく、竜児は優しい表情のまま食べ終えるのを待った。



「なんか、恥ずかしいとこ見せちゃった」
竜児が洗面所から持って来た濡れタオルで目の縁を拭きながら大河は照れたように言う。
「泣きながら食うやつ、初めて見たぞ」
「・・・いいじゃない」
少し口を尖らせて大河は横を向く。
「大河の・・・そんなとこ・・・」
・・・俺は嫌いじゃねえ。
竜児の言葉がつむじ風みたいに大河の内側を吹きぬける。
「は、恥ずかしい台詞」
嬉しいのに顔をつんとさせ大河は依然として横を向いたまま。
「俺は本当のことを言ったまでだ」
ど真ん中のストレートを投げ込まれた大河はあえなく三振する。
「ズルイよ、竜児ばっかり」
負けたという顔をして大河は竜児へ向き直った。

チャーハンの味が引き金になったのか、そんな大河はあれこれ思い出して胸がいっぱいになる。
「何回も泣いたよね、私」
北村くんのことで落ち込んで泣いていた大河の側にいつも竜児がいた。
当たり前のように差し出されるその手を大河は何のためらいもなく掴んで、何度も立ち上がらせてもらった。
「竜児が・・・居てくれたから」
竜児の優しさが大河の胸に浸透するのに長い時間は不要だった。
大河の心の色が竜児一色に染まったのは何時の頃だったろうか。
大河自身、はっきりと線引きが出来るわけじゃない。
ただ、それと気が付いていながら、あえて目を逸らしていたのは事実だった。
竜児の指し示す羅針盤は自分を向いていない・・・そう信じていたから。
だから、いくら望んでも叶わないこと・・・そう思っていたから。



「竜児」
大河は最愛の人の名を呼ぶ。
応えるように竜児が大河を見つめ直す。
一年前に蒔かれた種は大きく育って、大輪の花を咲かせる。
「もう、何度も言ったかもしれないけど・・・何回でも言いたいの」
大河は自分を見る竜児をしっかり見つめながら言葉をつむぎ出す。

「大好きだから・・・竜児のこと・・・」
深夜の部屋に響く大河のささやき。
「ここじゃ小さな声でしか言えないけど、本当は大きな拡声器に繋いじゃいたいくらい」
竜児が好きなんだと大声で言いたいと大河は付け加えた。

竜児は言葉で応えるよりも行動で示した。

ふんわりと大河は竜児の腕の中に包まれた。
竜児の手が優しく大河を愛しむ様に触れる。
内から震えるような想いが溢れ出し、大河はすがり付くようなまなざしを見せ、竜児を見上げる。

もう言葉は不要だった。
大河は目を閉じる。

僅かな気配・・・そして、熱くなる口元。

触れ合う一点を通してお互いに想いを確かめ合う竜児と大河。

時計の音さえ遠慮したような静寂の中、大河は今まで感じたことがないような幸福感を感じ取っていた。



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