「ねえ、竜児?」
「何だよ?」
「そういえば、あんた進路どうしたの?」
いつもごとく、携帯電話でその日の出来事などを話していた竜児と大河だったが、不意に思い出したように大河が聞いてきた。
「進路調査用紙・・・私は紙飛行機にして飛ばしちゃったけど」
数ヶ月前に当時の担任である独身に進路指導室へ呼び出された時の事を思い浮かべながら、大河は竜児に問い掛ける。
母親の家からプチ家出して、明日をも見えない小さな絶望に向き合い、大河は心にも無い台詞を竜児と独身に聞かせていた。
・・・お金持ちか。
言っていてあの時、大河は内心可笑しくて仕方なかったのだ。
何せ家中のお金をかき集めても、お気に入りのブランド服を一着買えるかどうかという経済状態だったのだから。
お金持ちが聞いてあきれるわと大河は言い終えた瞬間、口の端を小さくゆがめていた。

「・・・バカよね、私。竜児のことすっかり気にするの忘れて・・・竜児だっていろいろ悩んでたのに・・・それなのに自分のことばっかり話しちゃって・・・竜児のこと」
いろいろあって、ようやく落ち着いた今、大河はすっかり忘れていた竜児の進路のことを思い出したのだ。
「・・・ああ、もうなんてバカなの」
人生最大の失敗だと言わんばかりの嘆きようで大河は言い募る。
あまつさえ、とんかつで頭を殴りたいくらいだわと付け加える。

その言い間違いを竜児に突っ込まれ、うるさいわねといつもの口調に戻る大河。

「で、どうなの?」
言い間違いは華麗にスルーして大河は話を先へ進める。
「話せば、長くなるけどな・・・とりあえず、国立選抜クラスに居る」
結局、竜児は最後まで就職の意思表示を捨てず、進路調査表へマトモな回答を記さなかった。
最終的には困り果てた独身がこの学校には就職向けの指導をするクラスは無いから、期待に添えないけど先生に任せてくれるという申し出に竜児はただお願いしますと頭を下げていた。

未成年でプロポーズしてしまったとは言え、竜児は収入の無い自分が大河を迎えられる資格を持っていないことくらい自覚していた。
だから高校を卒業したら、すぐに就職して一人前の給料を得られるようになるのが先決だったのだ。
そして、そのまま福岡へ大河を迎えに行くんだと竜児は未来を夢想し続けていた・・・ついこの前まで。

「この間の連休にさ・・・じいちゃん家へ行ったんだよな」
連休に爺婆孝行をして欲しいと泰子に言われ、竜児は泊りがけで祖父の家を訪れていたのだ。
この家を訪ねれば嫌でも大河と一緒に来た時のことが思い出され、竜児は少しだけ落ち込むのを避けられなかった。
竜児の祖父も祖母もいきなり現れた孫が許嫁だと連れて来た大河が家庭の事情で遠い地に居ることを知っており、会えないのを残念がった。

「じいちゃんにさ・・・言われたんだよ」
「竜児のおじいちゃん?何て?」
連れ出された銭湯の湯船に祖父と並んで肩まで浸かる竜児が吐露した苦しい胸の内・・・卒業したらすぐ就職して大河を迎えたい・・・と言う想いに祖父はこうひと言、述べたのだ。




「・・・大河を働かせるのかって」
「へっ?」
電話の向こうで大河が訳がわからないと言う声を漏らす。
「・・・こういうことだよ」

祖父は高卒で得られる初任給がいくらか竜児に問い、竜児が答えられないと回答を出した。
手取りで15万に満たない金額を竜児に告げ、家計をやり繰りして来た竜児ならどれだけ余裕が無いのか分かるだろうと問い掛けたのだ。
家賃を切り詰め、食費を削り・・・節約生活を送る毎日が竜児の脳裏を横切る。
それでも、大河となら苦しくても・・・やっていけると考える竜児の胸の内を見透かす様に祖父は語り掛ける。
・・・愛があればお金は要らない何ていうのは幻想に過ぎない。
その上で、竜児に大河の出自を改めて想起させた。
・・・本当なら、いいところのお嬢様だな、あの娘は・・・いや、今でもそうだな、社長令嬢だ。
はっきり言えば大河がお金で苦労したことは今まで無いだろうと物質的に恵まれた環境で育ったことを竜児に窺わせた。

あいつはそんな奴じゃないと力む竜児を祖父は軽くいなし、あっさり竜児に同意した。
・・・そうだな、あの娘は確かにいい娘だ、変に飾らないところが気に入った。
祖父は更に続けた。
・・・結婚してすぐはいい・・・でもやがて子供だって出来るだろ・・・ん?竜児、上せたか、顔が赤いぞ。

幼稚園、中学と子供はすぐに大きくなる・・・私立へ通わせる・・・学費は掛かるぞ・・・ひとりならまだしも、ふたり目が出来たらどうする?
竜児の収入だけでやっていけるか?
矢継ぎ早にされる祖父の問い掛けに竜児は答えを出せなかった。

・・・大したことは出来なかったがな、泰子の母親と一緒になって・・・贅沢はさせてやれなかったが働かせたことはなかった・・・少しばかり得た知識で人様の役に立てる仕事も出来たし・・・唯一の失敗は娘に逃げられたことくらいだな。

そう言って苦笑する祖父の言葉には公認会計士として地域から信頼されているという自負があった。
押し黙ってしまった竜児に祖父は優しく、じっくり考えるとことだと肩を叩き湯船から上った。

その夜、祖父の家でひとり布団に横たわりながら竜児は考え込んでいた。
決して豊かではなかった今までの暮らし・・・子供心に欲しいと思うものがあっても泰子の苦労を見れば言い出せなかったあの頃。
同じ思いを俺は大河にさせるのか?
大河が好んで着ていたブランド服、値段を聞いただけでも馬鹿らしくなるほど高価なもの・・・俺は買ってなんかやれない。
でも、大河だってもう子供じゃない、だからそんな服を単に欲しがらないであろうことは想像できる。
だけど、「ねえ、竜児・・・こんな感じのお家に住みたいね」、「ここの幼稚園、評判いいんだって、ここにしよ」・・・。
脳裏でささやく大河の幻影。
あまつさえ、「住宅ローン、払えないの?じゃあ、私も働く・・・この間、パートさん募集してた」
そんなことを言い出す大河がそこに居た。

竜児はフルフルと寝床で頭を振り、掛け布団へ潜り込んだ。




「はあ〜・・・竜児、あんた何考えてんのよ」
竜児の説明を聞き、電話の向こうで盛大にため息を漏らす大河。
「あんただけに頼って暮らそう何て思ってないわよ・・・おままごとじゃないんだから、それくらい分かってる」
「だけどな、ボロアパートにしか住めないぞ」
「十分よ。あんな高級マンションより、竜児の家のほうがどれだけ心地良かったか」
「あんまり服とか買ってやれないぞ」
「いざとなったら竜児の服でも何でも着るわ」
「黒ブタとんかつは月に一回だぞ」
「・・・せめて、2回にして」
「お、おう」
ややあって、そのままお互いに電話口で噴出す竜児と大河。

「言っとくけど、そんなこと気にしなくていいからね。必要だったら私、働くし・・・生活が苦しいならご飯、一杯減らすから・・・」
「出来るのかよ?」
「た、多分、大丈夫・・・」
自信無さ気に答える大河。
その声を聞いて竜児の決心は固まった。

「・・・大河さ・・・俺、大学へ行こうと思うんだ」
「え?」
「たった今、決めた」
「急に、どうして?」
戸惑う大河の声。
「大河は反対か?」
「ううん・・・竜児が決めたことなら」
「・・・お前に、大河に、食べさせたいだけ食べさせてやりたい・・・大きな炊飯器を買って炊きたてのご飯で」
「竜児?」
そんなことのために大学へ行くのかと言うニュアンスを大河の口調に感じた竜児は言葉を補足する。
「それだけじゃないんだ」
「他に何があるの?」
「大河は俺と一緒に暮らせるなら多少のことは我慢するつもりだよな?」
大河が発する言葉の端はしにそんな決意を読み取り、竜児は念を押す。
「あ、当たり前じゃない!」
そんなのは当然だと大河の声が大きくなる。
「大河はそれでいいかもしれない・・・でもな、そうさせたくない相手も居るんだ」
「だ、誰よ、それ!!」
私以外に竜児には大事な人が居るのかと、大河は声を荒げる。
「居る」
「・・・嘘」
があんと言う大河の頭の上で鳴った効果音が聞こえた訳では無いだろうが、竜児は慌てて言い足した。
「正確に言うとだな・・・今は居ない」
「居ない?」
「ああ、それにそいつは俺だけじゃなくて大河にとっても大事な相手だぞ」
「誰?それ・・・みのりん?」
「あのなあ・・・櫛枝は関係ねえ・・・それにあいつは今、この世に居るだろ」
「じゃあ、誰よ?」
早く答えを出せとじれったそうに大河は言う。
「・・・子供だよ・・・俺とお前のな」
「え〜!」
思いもよらない答えに大河の頭は混乱する。




「あのなあ・・・結婚したら、いつかそう言うことになるだろ・・・」
「そ、そね・・・いろいろイタスわけだから・・・そうなるのよね」
今、そのことに思い至ったと言う様に大河は竜児が目の前に居なくて良かったと思えるくらい赤面する。


「娘か息子か分からないけどよ・・・大河に似て大食らいだったら、毎日、腹いっぱい食べさせてやりたいって思う・・・そんな時、家計が苦しいからって大河に我慢させたくねえしな」
電話の向こうの大河が落ち着くのを待って竜児は話を続ける。
「それによ・・・未来の子供が頭が良くてさ・・・いい学校へ行きたいって言ったら叶えてやりたいじゃねえか」
竜児の声に大河はうんと答えを返す。
「大河も知ってる通り、貧乏だったろ俺んち・・・高校だって行きたい学校より行ける学校で選んだんだ・・・そんな思いはさせたくねえ」
お金さえあれば幸せとは限らないよと言う大河の声に竜児はうなづく。
「その通りさ、でも余裕が無いより、あった方がいいだろ」
そうすれば毎月、すき焼きパーティが出来るぞとおどける様に笑う竜児から透けて見える自分へ向けられた好意の波動を大河は心地良く体中で感じた。


「だから、俺は大学へ行って、専門職を目指す・・・でも、結果としてお前を待たせちまう、それだけが辛いんだ」
「待つわよ!絶対!!」
竜児が言い終えるや否や大河は繰り返し叫ぶ。
何年でも、いつまででも・・・とかすれた様な声になりながらも大河は思いの丈を竜児へぶつけ続けた。


「・・・ありがとう、大河」
大河の声が弱まったタイミングで竜児が返した台詞に緩む大河の涙腺。
テレビ電話じゃなくて良かったと思いながら大河は出来るだけ震えないように声を出した。


「・・・竜児」
「おう」
「・・・頑張んなさいよ・・・あんた」
「そういう大河も・・・な」
「わ、私は・・・いいよ・・・竜児が頑張るなら・・・何があっても・・・我慢できると思うから」
だから、竜児は自分のことを考えて頑張ればいいんだと大河は言葉を結んだ。



建物の外からひときわ大きな歓声が竜児と大河の耳へ届く。
「もうすぐだね」
「ああ」
「なんか、ドキドキして来た」
「・・・大丈夫だ、俺が側に居る」
「ふっ・・・今日の竜児、ちょっとかっこいいかも」
「いつもだろ、かっこいいのは・・・」


「・・・あの時ね・・・竜児がああ言ってくれて、すごく嬉しかったんだ」
「進学のことか?」
大河は頷いた。
「・・・竜児が、私のために自分のしたいことや夢を捨てるんじゃないかって・・・そんなことを考えたの」
「・・・大河」
「竜児と少し離れて見て、いろいろ気が付いたこととかあったし、あのまま、ママの元へ帰らないで竜児と駆け落ちしてたら・・・私・・・竜児の都合も考えないでわがままばっかり言ってかもしれない」
「そんなことねえぜ」
「ううん・・・自分のことだから良く分かる・・・3年生を一緒に過ごせなかったけど、そのお陰で今日があるから」
真剣なまなざしの大河を竜児はまぶしいものを見るように目を細めた。


「それに・・・嬉しかったんだ」
「嬉しいって?」
「竜児が、私だけじゃなくて・・・あの時、この子のことも考えてくれてたから」
愛しそうにお腹の周りを撫でる大河。
「その時かな・・・ああ、竜児とだったら一生、ずっと居られるって思ったの」
「そ、そんなのその前からだったろ」
心外だと竜児は口調を尖らす。
「そうね・・・竜児はそうだったかもしれないけど、私は少しだけ不安だったんだ」
「不安って?」
「竜児って・・・私のドコを気に入ってくれたのかなって?」
「は?」
「だって、家事は駄目だし、横暴だし・・・背は低いし・・・それに・・・胸だって全然無いし」
そんな拗ねたように言う大河の横顔は高校生の頃、さんざん高須家の居間で見せたものと寸分違わない。

「全部だよ、チビでワガママで、泣き虫で、おまけにドジで・・・全部、ひっくるめて、俺は好きになったんだよ、大河・・・お前をな」
「・・・ひどい、言いざま」
小さな口元を少し膨らませる大河。
「当ってる・・・だろ?」
どこかおどけた様な竜児の声に大河は小声で「ばか」とつぶやくとそっぽを向いた。


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