高須竜児と大河が結婚したのは、出会ってから8年後、25歳の春だった。
大橋高校の仲間や、大学時代の友人達に囲まれての結婚式は質素ながらも温かい雰囲気に包まれた
披露宴だった。
 新しい新居は、大橋駅から2駅ほど郊外に離れた駅から徒歩で10分程のマンション。
幼稚園教諭になるために専門学校に通う大河の通学の利便上、大橋から離れられなかったのと、
建築設計事務所で働く竜児の終電の時間が遅いというのが決め手だった。
昭和50年代の後半に建てられたマンションは、多少、見てくれも古くさいが、リフォーム済み
で、収納スペースもたっぷりあったのが竜児のお眼鏡に適ったのだ。

 引っ越して2週間。仕事が殺人的に忙しい竜児に代わり、部屋の片付けをしたのは大河だった。
高校時代、家事が全く出来なかった大河も、竜児と別れた一年間の母親との生活と、大学時代の
一人暮らしの結果、それなりに家事をこなすことが出来るようになっていた。
勿論、スキルでいえば未だに竜児に敵うことはできない。でも25歳の新妻としては上等なレベル
に達していた。
 お風呂掃除が終わり、冷えたカルピスを飲みながら、披露宴の時に送られた、お祝いの電報を
読んでみる。
 日程や、物理的な距離から披露宴や二次会に参加出来なかった母親と暮らした街での、一年だけの
クラスメートや、大学時代の友人が送ってくれた祝電。
 自分たちがいかに祝福されて結婚したのか、片手だけでは持ちきれないほどの電報の束に、大河は
幸せをかみしめていた。

 雪の大橋でのプロポーズから8年。長いといえば長い春だった。
 一年の離別を乗り越えて大橋に戻ってきた大河としては、高校卒業と同時に入籍だけでも済ませた
かったのだが、真面目で融通が利かない駄犬は、大学を卒業し、ちゃんとした収入を得るまでは結婚
しないと勝手に決めて、大河が泣こうが喚こうが、手乗りタイガーと化して殴る蹴るの暴行を加えよ
うが、信念を曲げなかった。

 大河にしてみれば、優しくて、気遣いができて、料理が得意で、家事全般に精通している竜児は、
女性からしてみれば、稀少性の高い優良物件だと思っている。
大学生ともなれば、竜児の、地獄を住処とする悪鬼のような三白眼に怯まず、その瞳の奥底にある
優しさを見抜く女性が現れるかも知れない。そんなライバルが現れたとしたら、泣き虫で凶暴で哀れ胸
を持つ自分など太刀打ちできるはずもない。大河の危機感は深刻だった。
 愛していない、いや愛してる。結婚しろ、いや今は出来ない。殺す、殺さない。物騒な言葉が飛び交う
痴話喧嘩の調停者として現れたのが、高須のおじいちゃんだった。
 高須のおじいちゃんは、2人の前に古びた指輪ケースを差し出した、大河がケースを開くと、大きめの
石がついている指輪が収まっていた。
「これは、ばあちゃんから大河さんへの贈り物だ。」居心地が悪そうに、じいちゃんは言う。
二人が好きあっているのは理解している。大河さんが竜児とすぐにでも結婚したいと考える事も理解でき
るし、竜児が一人前の男になるまでは結婚出来ないと考えるのも男として理解できる。
「そこで提案なんだが、恋人から夫婦に一足跳びにいく前に、婚約者というステップを設けてみたらどうだい?」
じいちゃんはそういって笑った。
考えてみれば、恋人→婚約者→夫婦というのはごく普通のステップだ。
しかし、お互いの恋心を認めると同時にプロポーズした(された)二人にとっては、婚約というステップは、
なんだか中途半端な立場のような気がしたのだ。
 竜児にしてみれば、学生の身だから、大河に婚約指輪を買ってあげることが出来ないという引け目もあった。
 大河にしてみれば、婚約という名の下に、結婚が延びてしまうのが悲しかった。
しかし、高須家のじいちゃんが仲介してくれたうえ、おばあちゃんから指輪を贈られると有っては、さすがの大河も、
攻撃の砲弾を撃ち込むのを辞めるしかない。
堅苦しい儀式は抜きで、高須家の祖父ちゃん・祖母ちゃんと泰子。大河の家からは、義理のお父さんとお母さんとが
一堂に会し、顔合わせを行った結果、大河は、サードニクスの婚約指輪を身につけて、大学に通うことになった。


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